topimage

2017-02

一杯のお茶 - 2015.02.21 Sat

デンパサールの空港での出来事である。

なけなしのお金で、ペットボトルのお茶を買った。
ホントはフルーツの生絞りジュースを買いたかったのだが、お金が足りずに仕方なく買ったのだ、それは喉を潤すどころか、逆に水をおくれと懇願したくなるような甘たるいお茶であった。

すっかり失念していたことだが、この国も例に漏れない、甘たるい飲み物を好む国であった事を。
しかし、僕自身がその事を失念するには訳があったのだ。


ペットボトルのお茶を購入するちょっと前の出来事である。
ツアーに参加したメンバーが、インドネシア研修生のおもてなしについて話していたのだ。

話し手は、インドネシアに住んでいた方々で、ワントの村で、甘いお茶が出なかった事に驚きを表していたのだ。
彼女らの話から、インドネシア人は非常に甘い飲み物を好むといっていたのだ。確かに日本でタタン君とコーヒーを飲みに行った時、彼はコーヒーに砂糖を5本入れていたのが脳裏に甦えったのだ。

ただ、ワント君はコーヒーをブラックで飲むのが好きであったから、ただ彼の好みで甘くないお茶が出たのだと、いやむしろそこに、おもてなしの心があったことすら気づかなかったのだ。お茶は甘くなくてあたりまえでしょと

それを、二人から教えられたのだ。
普通、インドネシアで歓迎を受ける時は甘いお茶が出て当たり前、それがインドネシアでの習慣であり、おもてなしなのだから。そこで、甘くないお茶を出すのはインドネシアの文化ではありえないと。

そして、その甘くないお茶は日本人が甘いお茶を好まない事を知っていたワント君たちからの気遣いであると。

その話を聞いて、頭では理解できて、非常にワント君たちの気遣いにありがたく感じたのだが、その時はそれ以上に思わなかった。

ふーんそうなんだというレベルで

そこに冒頭のペットボトルのお茶である。
結局、このお茶は飲みきれず、捨てる羽目になってしまったのだが、こんな甘いお茶をツアー中、飲まずに済んだのは、ワントらのお蔭であったのだとやっとここで痛感したのだ。

今、思い返せば、農林高校での歓迎の席で、実はめちゃくちゃ甘いコーヒーが出された。
僕の隣に座っていたワントがそのコーヒーを飲み、僕以上に悪態をついたのだ。このコーヒーは甘すぎると。
そして僕に謝るのだ、ごめんコーヒー甘すぎるねと。
その時は、ワントがブラックが好きだから彼の好みに合わなかったのだろうぐらいにしか思っていなかったし、なぜ謝るのか全く意に解していなかったのだ。だが、今ならわかる。

その後、全く甘いお茶が出てこなかったのも、彼が甘いコーヒーに悪態をついたのも、僕に謝ったのも。
日本から来た僕らへの彼らからの気遣いであった事も。

それは彼が3年間、日本人と共に仕事をしプライベートを過ごして得られたものだと


話はまとめに入ろうと思う。
インドネシア研修生と3年間過ごした事で、僕にはやり場のない思いがうっすらうっすらと募っていっていた。
このプログラムを初めた代表を始め、この活動はボランティアである。正直言うと、このボランティアに相当な時間を取られていた。しかも代表は身銭をきってまでやっている。

仕事をすればお金が、ボランティアをすれば精神的な喜びを得られるのがセオリーであるが、現状ではそれを得られる事が全くできず、ワントとの再会のエントリーで書いた通り、なんのためにやるのか分からなくなっていたのだ。
まぁ、何か見返りを得るためにこのプログラムに参加したわけではないが、僕も普通の人間、これが自分の子供であったら、または恋人であったら、無償の愛情で接する事ができたのかもしれないが、あいにく、彼らは僕の子供でもないし僕は同性愛者ではないのでもちろん恋人でもない。ただの他人であるのだから。

そんな事を書いてしまうと、ちょっと寂しい人間に思われてしまうが、そんな事はなく、むしろ他人だけど、彼らのために何か役になりたいという気持ちは人一倍あるとは思っていた。

ただ、その思いが強いがゆえに、独りよがりの考え方に陥ってしまっていたようだ。
自分の意図した結果が欲しいと。

けど、その結果、返ってきたものは自分の期待したものとは違い、僕のやっている事は本当に意味があるのだろうかと。それがゆえに僕のモチベーションとクオリティーが自分でもわかるぐらい下がっていっていた。そして今思うと、それは彼らには大変悪い事をしたと。

さて、そこで今回のスタディーツアーが僕に一つの答えをくれたのだと思う。
それは、自分の意図した結果を得る事ばかりに目が行っていたゆえに陥ってしまった今の現状。
しかし、帰っていった彼らは、僕の意図していなかった事だけど、3年間の日本の生活で実は沢山の事を得て帰っていったのだ。それを最後の最後にペットボトルのお茶を飲むことでしっくりと自分の中でストンと落ちたのであった。

だから今なら思える。これからは、自分の意図した結果を求めるのはやめようと。それは一人よがりな考えであり、人はそれぞれ性格も感性も違うのだから、それぞれ学ぶ事も違うのは当たり前なのだから。スタディーツアーに参加した人たちもそれぞれに感じた事が違うのにそんな当たり前の事に今まで気づけないでいたのである。むしろそれよりも、自分の意図しないものを彼らが3年間で何を得ていくのか、それを楽しみにしていけたらと思うようになったのである。ワントの日本人への気遣いのように

そして、もう一つ、このツアーに参加してよかったのは、インドネシア研修生に関わる人たちの想いを知れたことも大きかった。一緒に仕事をしているが、やっぱり仕事中に深い話をすることができなかったので。そして、とてもありがたい機会を頂いた事を関係者一同の御礼申し上げて、この一連のスタディーツアーのエントリーを終わりにしたいと思う。

皆様、大変お世話になりました。













スポンサーサイト

松山農園訪問 - 2015.02.18 Wed

さて、話は彼らの故郷、スメダン地区から飛んで、バリの松山農園での事です。


決して観光じゃないですよ、ちゃんとした視察のために(汗)


場所はベドゥグルという所で、インドネシアの5万ルピアの裏面の絵になっている場所がある、とても綺麗な所にあります。


松山さんは、僕と同じ青年海外協力隊の出身の方で、協力隊終了後直ぐにバリで営農されたそうで。
1374733_991349954226205_1332670980337070598_n[1]

しかも、帰国してから5日ぐらいで、直ぐにインドネシアへとトンボ帰り。
その行動力に脱帽であります。

松山さんの農園では、桃太郎という、日本ではちょーメジャーなトマトを栽培販売しています。

その他にはアイコトマトや黄色いミニトマトまで。
10959318_991350804226120_4134985705202186705_n[1]

因みに、全て無農薬で作られているそうで、とういうか、契約している取引先が無農薬を欲しがっているということで、完全無農薬で作っているのです。

そして、ハウスも自前。
以前、農業を学んでいた場所でハウスの作り方を覚えたそうです。
資材集めから、ハウス作り。自分が同じ農業者なのに、同じ事ができないと思うと、正直に凄いなと感心したのでした。
1926821_991350164226184_8032375488299847571_n[1]


そして、そんな松山さんに、今回、一緒にツアーに参加した学生さんから、とある質問が投げかけられたのです。

農業という仕事は儲からないし、なぜ、わざわざインドネシアまで来て農業をしているのですかと。

そして、それに対する松山さんの明瞭な答えが返ってきたのです。

「好きだから」

そんな言葉やその他の沢山の名言にこれから自分の将来を決めていく、学生さんにとって、とても貴重なお言葉であったと思います。
10339720_991351147559419_5176467982437608015_n[1]

そして、僕自身も、松山さんの言葉を聞いて、僕も農業が好きだー
同じ人がいる~、時間が許せばどんだけ農業が好きだという話をしをトコトンしたいと思ったのでした。

そして、外国で農業をやるその気持ちの強さからもっと学ばせて欲しいとおもったのでした。


新しい沢山の出会い - 2015.02.13 Fri

今回のスタディーツアーでは沢山の方と知り合う事になった。
10968462_991343284226872_2115731613017920275_n.jpg
農林高校での集合写真

まずは、一緒にツアーに参加した、名古屋の大学生3人
僕の無茶振りにも関わらず、恋するフォーチュンクッキーを踊れるようにしてきてくれて、大変場の雰囲気を盛り上げてくれたり、それぞれの視点を持って、ツアーに参加し、僕の視点からでは見えない物を教えてくれた。

次に、農林高校で知り合った、関係者の方々。
その中でも、日本に留学経験のある子達だ。僕らに会うなりに、日本語で話しかけてくれた事には、異国の地に来て、言葉が通じないとう環境の中からしたら大変ありがたい存在であった。
そして、その何とも言えない愛嬌と気の良さにとても癒されたのである。

次に、研修生の家族。
今回は、ワントと研修2期生のイルファン君の家族しか会えなかったが、それだけでも嬉しかった。
特に嬉しかったのは、ワントのお父さんと会えた事だ。
なぜなら、彼のお父さんの話はワントから散々聞かされていたからだ。
そして、彼の彼女に合えた事も。

そして、研修1期生のヘンドラ君と研修2期生のイルファンに出会えた事である。
この研修プログラムに参加しているものの、僕自身はその2人の事を知らなかったのだ。

二人の印象としては、噂通りの人で、今までの研修生で別格とうたわれるヘンドラ君は別格と言われる由縁のオーラを纏っていた。厳格と聞いていたイルファン君もその真面目さが滲み出ていたのである。

それぞれに色々な事を感じたが、ここでは一つのエピソードを紹介したいと思う。

「親方とイルファン」

二人の再開と別れでの事である。

二人は出会った瞬間そして別れる時、目に涙を蓄えてあつい抱擁を交わす姿に、僕らは感動したのだ。

イルファン君は、3年間、ずっと一緒に親方と仕事をしていた。
うちの農園では、研修生が全部の部門を回れるようにと、学年ごとに違う人に付いて仕事をするのだが、イルファン君だけが、その時の事情により、3年間ずっと親方と一緒だったのだ。

そんな二人の心中はどうであるのかそのうちは分からないが、二人の過ごした時間、そして普段あまり語らない親方と、また自己表現が上手ではない(他の人から聞いた話)イルファン君が目に涙を浮かべている姿に、再会を喜び、別れを惜しむその姿に心が打たれたのだった。

そんな感動的なシーン、実は沢山写真があるのだが、こればかりは、写真では伝わらない、生の雰囲気という物があるので、写真は載せず、皆様のご想像にお任せしたいと思う。






参加メンバーから教えられた事。 - 2015.02.12 Thu

話は、ランチャカロン村での出来事から前後するが、今回一緒に参加した、3名の人達から教えてもらったことを紹介したいと思う。



今回の通訳兼日程の調整を担当し、インドネシア研修生を一期生から知っている、我らが頼れる「耕志の会」の顧問、
おぐにんから教えてもらった事である。

彼女はその堪能なインドネシア語から、僕らがしゃべる事のできない、農林高校の先生や色んなインドネシアの人達との話を教えてくれたのだ。

その一つで、とても印象的であったものがある。

研修生を送り出している周りの人たちは、帰国後の研修生に期待していることがあった。
それは、日本の技術を学び、それを導入して営農または、その学んだものを活かしてほしいと思っていたそうだ。

だから、周りの人達は日本の技術を学ばせたいから、研修生をもっと送りたいのだと言っていた。
しかし、そんな研修生を送りだしている周りの人々の考えは、毎年帰ってくる、卒業生達の姿を見て変わっていったのだ。

彼らが得て来たものは、日本の技術という物ではなかった。なぜなら日本の技術を持ち帰った所で、彼らの農業に適していない物ばかりであるからだ。
ただ、そんな彼らが得て来た物は日本の技術よりももっと重要なものだった。
視野が広がる、違った視点で物事が見れる。そういった能力を身に付けて帰って来たのだ。

そして、そんな他とは違う考えで物事を見れる研修生達が、しっかりと、地元に戻って営農や仕事に勤しんでいる姿を見ているから、彼らを送り出した人達も考えがかわったのだろう。日本に研修に来る本当に大切な意味に。

そして、研修生を送り出していた当初は、日本の農業技術を学ばせる為に研修生を送りたいという意見から、日本に行くことで広い視野が得た子達を育てたいという想いから研修生を送り出したいと変わっていったのだと。

それをおぐにんから教えてもらった時、このプログラムを始めた「耕志の会」代表の事を思い出していた。
最初に、僕自身がこの会に入る時に、代表が言っていた言葉だ。

このプログラムを通して、考える農民を作りたいと。
代表も青年海外協力隊の出身で3年の任期の間に色々な事を考えてきたのだと思う。
そこからその地域の発展に必要なのは、外国人の隊員では無く、技術でもなく、お金でもない、その地域を本当に良くしたいと思う、青年の育成なのだと。

それが考える農民なのだと。

だからこそ、代表が妥協せず、諦めず、厳しく研修生に指導してきたその報いが、実りつつある事を知り、大変嬉しく感じたのであった。


次は、今回、団長として参加してくれた我らが農園の親方の話である。
スタディーツアー最終日に二人でゆっくり話す機会があったのだが、その時に、僕から一つ質問を投げかけてみたのだ。
これは研修生だけに関わる話ではないく、僕ら日本人スタッフを含めての話である。

研修生は言葉ができない事から、僕らスタッフは経験不足から、親方を怒らせる事が多々、いや毎日あるのだ。
正直、親方はおっかない、みんな怒られないようにといつも必死である。
ただ、逆を返せば、親方はこんな僕らを受け入れて、いつも怒らせ、嫌な思いをさせているのではないのかと思っていたのだ。外国人研修生を農業素人のスタッフを受け入れなければ、そんな嫌な思いをしなくて済むのではないのかと。

そこで、おっかないが、今聞かなくていつ聞くの今でしょと、お酒に酔った勢いで質問してみたのだ。

そして、返ってきた答えは意外なものであった。

「俺は楽しい」

というものであった。
仕事に対しては、色々と言うし、怒るがそれは俺が仕事に対して非常に厳しいからだ。それはそれ
しかし、若い連中がうちに来て、成長していく姿を見るの楽しいし、君たちがうちに来てくれた事が嬉しいという事を教えてくれた。

そして、もっと君たちには学んでほしい、俺は聞かれなければ教えてやることができないから、もっと質問してほしいと。

今まで僕は寡黙に仕事に勤める親方に対して、またいつも一緒に働いているのに、その思いや考えを聴くことをできずにいたのだ。いかに自分が怒られないように、いかに研修生が怒られないように、気を付ける事ばかりに目が向いていたのだ。

でも、その親方の本当の思いを聴くことで、親方の僕らへの深い思いがある事に気づけたのだ。
怒るも愛情、その愛情に気づく事ができたのは、このスタディーツアーに参加したもう一つの大事な気づきであった。


最後に農園たや~ず(仮)のメンバーであり、農園のパートさん、A型ぽくないA型さん(長いので以下A型さんで)から教えてもらった事である。

それは、インドネシアスタディーツアーに出発する数日前の事である。
卒業生のために農園の皆からメッセージビデオを撮ろうとのことだった。

もう出発も近し、今から撮影かと少し面倒くさい思いがあり、しぶしぶ撮影を開始したのだが、撮影を始め初めてふと気づいたのである。

僕って自分の今のこの気持ちに何か変えるきっかけが欲しいから、または企画側として、しっかりしたツアーにしなくてはという気持ちばかり先行して、これから会いに行く卒業生の事を考えていない事に気づいた。
自分よがりの考えで僕は動いていたのだ。

しかし、A型さんは違った。
卒業生に会いに行くのだから、彼らが喜ぶであろう、農園のみんなのメッセージを撮ろうと提案したり、ツアー中では今度は農園のみんなのために、卒業生のメッセージビデオを撮ろうと提案してくれた。

その他にもA型さんのツアー中でのその端々の行動から、人への思いやりの行動が見て取れたのだ。

正直、僕は鈍器で頭を殴られたような衝撃をうけた。
一番大切な事を忘れていたからだ。仕事をスムーズにする、授業をより良いものにする。
そしてそれができなくて困っている。だからそれを改善するため、または自分のモチベーションを上げるために、ツアーに参加した、自分の一人よがりな思考に。

そう簡単に会う事のできない卒業生に会いに行くのに、何してんだろう。
そして今いる研修生の子達に対しても自分よがりな考えで接していた。

そんな自分の至らない部分をA型さんの行動から教えてもらったのだった。




















ワントとの再会 - 2015.02.11 Wed

ずっと、考え続けている。

僕はなぜ、インドネシア研修生のために自分の時間を割いているのだろうかと。

健康改善のために教え始めた日本食料理も、彼らは全然作ってくれないし、野菜の授業に対しても彼らからはやらされている感がその授業内容からムンムンと感じるのだ。

まぁ、もともと僕自身が先生という、人に物を教えるのにむいていないのもあるし、彼らの事をよく理解してないのもあるから僕がもっと成長しなくてはと、色々な事に挑戦し、試行錯誤してみた。

でもそれでも、うまくいかない事が多々ある。
大げんかすることもあった。
シカトを喰らう事もあった。
殺すぞと言われたこともあった。
今、思い返すと、色んな事が思い出されていく。

ただ、誤解がないように書いておくが、毎日が辛いという事ではなく、基本は楽しく過ごしているが、そんな彼らのために自分は自分の時間をなぜ使っているのだろう、どうしてこうも前の見えない事に対してもがいているのだろう。辞めれば楽なのに。


だからだろう、僕はこのスタディーツアーに藁をもすがる思いで参加したのだ。
現地に行って、ワントに会ったら何か見つかるのではないのだろうかと。

そんな思いを胸に秘めて、会いたかったのが4期生、クスワントである。
10443980_805081682919321_7917125554903909665_n[1]

そして、彼とは研修生の母校で再開した。
だいぶと痩せて、髭をたっぷり蓄えたワント

見た目は少し変わっていたが、あのクリットした目が特徴のワントの笑顔は変わらなかった。
そんな彼との再会で、今まで考えていた事なんてどっかふっ飛んでいってしまった。

素直に彼に合えたのが嬉しかったから。


さて、ワントの話をしよう。

彼は帰国後、クローブの栽培で生計を立てていくと言って帰っていった。
ただ、クローブの木は植えてから収穫までに最低3年はかかるとの事で未だにその実りは得ていないが。

だけど、一緒に日本でのクローブの販売ルートについて、調べたり、研究発表の準備をしたりしたからだろうか、彼の新しく植えた苗を是非とも見たかったのだ。

今回のスタディーツアーの大目玉はなんといってもワントの村、ランチャカロン訪問で、そのどうしても見ておきたかったワントの畑を見る機会にめぐり合わせたのだ。

綺麗な棚田の広がるランチャカロンの畑の風景。
そんなところまでもと、人の手の届くとこすべてが畑と化している。
個人的には、こんな所で農業ができたら毎日が心洗われる素敵な場所であった。
10987661_991344067560127_3402353965390195166_n[1]

そして、ここがワントの畑
1922526_640595109401354_4397661988623355400_n[2]

彼の畑の違う所は、やっぱりマルチを使っているというところである。
インドネシアの物価から考えて、決して安くはない農業資材なのだが、その利便性を十分理解し、やっぱりマルチは必要だよねと語るワント。彼の中で生きた日本での経験が繁栄されている所に、嬉しさを感じるのである。


さて、クローブである。
最初の畑は、元々、ワントの家が持っていた土地であり、かなり彼の家から近い所にあったのだが、研修で貯めたお金で買った新しい畑はちょっと離れた所にあったのだ。

せっかくだからその畑まで見にいきたいという日本人メンバー
だけど、遠いよと、何か心配した顔でほんとに行けるかと確認をとるワント。

なんで、そんなに心配してるんかなと思っていると、そのわけはワントの新しい畑に行くまでの道のりにあった。
これは道ですかという所を通り、これは坂ですか、いや崖、というようなところを通る。
しかも、雨で地面が濡れているかrらる滑る。

目的の畑に到着するまでに、女性人の悲鳴が幾度となく聞こえたのは、ご想像にお任せしよう。

そして、やっとご対面した、ワントのクローブの木である。
10984033_991347707559763_3246095692932789427_n[1]


まだ、小さく、弱弱しい感じであるが。
これがワントのクローブかと思うと、なにか感慨深いものを感じるのである。

実を付ける事はないが、これから大きく成長していこうとするそのさまは、まるで今のワントを表しているように。

今は彼は兼業農家である。
まだまだ、農業だけでは食っていけないという事と、彼自身もっと勉強をしたいという事で、農薬の会社に勤めている。
働きながら、農薬の事も勉強できるからと、仕事にいそしんでいる。

そして、彼には夢がある。
日本のいるときに、実はクローブの研究の一環で、カフェに一緒に行ったのだ。または場所だけ教えて自分一人でワントはカフェを見て回った。

その時に彼はクローブを使った飲み物をひたすら飲んだのだが、その経験から、自分の作ったクローブやお茶を使った喫茶店を作りたいと言っていた。その思いは帰国しても変わらず、しかもその構想はパワーアップしていたのだ。

ワントの彼女が、なんとお菓子作りのプロなのだ。
そこから、今のワントは自分の作ったクローブやお茶と彼女の作ったケーキを出せる喫茶店を作りたと僕に話してくれた。
是非ともその夢、叶えてほしいものである。

そんな彼の家族の写真である。
10959446_640604682733730_5919761341255422380_n[1]













NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

プロフィール

Author:ゴンベイ
ド~レ~ミ~ってちゃんと歌っているつもりなのに、人からは音外れてるよって言われるんだよね。トントントンってちゃんとリズムを刻んでるって思うだけど、人からは段々早くなっているよって言われるんだよね。でもメロディーもリズムも人それぞれ違うもんだと思うから、人と合わせて調和をとることが大切。そんな私のハーモニー、このブログで奏でていきたいと思う。

フリーエリア

サウンドハウス

最新記事

カテゴリ

未分類 (3)
日記 (41)
旅 (1)
活動 (5)
ボリビア (215)
プロフィール (2)
食べ物 (3)
農業 (7)
僕とインドネシア人 (16)
音楽 (31)
ブログの紹介 (4)
野菜 (10)
一生もののギター探し (11)
グワナコ戦争 (28)
スタディーツアー (18)
レシピ (8)
ベジラボ (4)
標高4000mに挑むまで (14)
ちょっと高いところからの景色を見てみたい (0)
京水菜 (5)
ミニチンゲンサイ (4)

FC2カウンター

アーカイブでクラウド

リンク

このブログをリンクに追加する

QRコード

QRコード