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2014-09

音楽は国境を越えて一緒に楽しめるものなのか?(農園たやーす結成編その1) - 2014.09.29 Mon

やっと、当初書こうと思っていたエントリーにこぎつけた。

今、僕はインドネシア人と一緒に農園たやーず(仮)というバンドを組んでいる。
そして今年の10月に、僕らの農園がある、集落のお祭りに参加する予定なのだ。

それでせっかくだから、この農園たやーず(仮)での出来事とお祭りに向けての頑張りをブログでアピールしようと思いこの一連のエントリーを書いているのだが、その前振りが思ったよりも長くなってしまった。

書いてるうちにせっかく昔の事を思い返しているのだから、自分の記録としても文章に残しておこうと思って。
3エントリーのつもりが11エントリーになってしまったが、、、

さて、本題のほうも3エントリーで終わらせるつもりなのだが、書いてるうちに長くなりそうなので、皆様辛抱強くお付き合いくださいませ。


農園の開放型バーベキューが、まだ、身内だけの歓送迎会用のものだけだった時の事である。
僕が農園に来た歓迎を込めてバーベキューをしてくれたのだ。

その頃は僕自身、まだ福井に来たばかりなので、まだまだ仕事にも慣れず、農園の人たちとも打ち解けきれていない時期でもあり、自分をよく見せようと、まだ猫をかぶっていたである。

粗相の無いように振る舞っていたのだが、この野外でバーベキューという雰囲気に呑まれ、無性に歌いたくなってタガが外れた。ちなみにノンアルコールです。

ギターを担ぎ出し、ボリビアで培ったステップとギターでウタオドリし始めたのだ。

その時の農園の皆なの反応は全く覚えていない、というか多分、目に入っておらず自分の世界に入ってしまったのかもしれないが、急にギターを弾きながら踊りだした変態っぷりを快く受け入れてくれた事で、僕はやっと農園の仲間に入れたと思えるようになったのだった。(多分受け入れてくれたと思うが、、、)

それから、バーベキューの度に、ウタオドリを披露したのだが、それに刺激されてか、楽器のできるインドネシア人研修生も母国の歌を披露し始めたのだった。

ただ、この時までは、僕とインドネシア研修生の子達と、一緒に演奏するっていう事は全くなかった。

僕自身が誰かと一緒にやるという事に興味なかったというのが本音ではあるが。
そう言うと、こいつ寂しい奴と思われるかもしれないが、2年間のボリビア生活で、誰かに頼ることができず、自分一人でどうにかするしかない状況だったので、ギターも歌も踊りも一人でというスタイルに完結してしまった。それに、バンドン君と一緒にやったアグリクルトーレスが今までで一番最高であったから、もう彼以外とは誰かと一緒にやるという事はないなと心のどこかで思っていたからだ。

そんな僕に農園の園主がバーベキューでみんなで演奏してみたらどうだと提案してくれたのだ。

それに意外とインドネシアの子達がのってきたので、じゃあやってみるかと軽い気持ちで彼らと演奏することになったのである。

そして記念すべき、第一回、開放型農園バーベキューで、僕とインドネシア人の子達との演奏を披露したのであった。
曲目はおなじみ「idillo」、彼らの民族の歌「ウイス」そしてなぜかインドネシア人の子が皆フルで歌えるKiroroの「未来」であった。


しかし、陽気な音楽で和やかな雰囲気で終わった記念すべき演奏が終わったその裏では、僕は二度とインドネシアの研修生と演奏するものかと怒り心頭していたのであった。













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音楽は国境を越えるのか(ボリビア完結編) - 2014.09.26 Fri

ボリビアの音楽にはまり出してから、僕は村の人とよく遊ぶようになっていた。

長い昼休み時間にはチェス
夕方にはフットサルやバレーボール擬き
子供達と戯れ

一緒にTVをみたり飯もどこか食べに行くと必ず知り合いがいるので、談笑しながら食事を共にした。

気づけは、もうお店の中は知り合いばかり、新しく来た同僚は、タカオお前有名人だなと言われるようになっていた。
まぁ、その理由はボリビアの大統領を蹴ってしまったことも一因なのだが、、、
(以前のエントリー俺はクラワレーニョとクラワラチームVSエボSP軍団を参照くださいhttp://uguisuflyflyfly.blog111.fc2.com/blog-date-201111.html)

食事中の談笑が続いていると、どこからともなく、酒が出てくる。
冷えていない生ビールが。
そして勧められるがままに飲んでいると、タカオ、ギター持ってきて弾いてくれという流れになるのだ。
そこで、僕は歌った。

ギターも歌もしっかり練習して完璧な日本のノリのいい曲
「ヤサ男の夢、リンダリンダ、アレルギーの特効薬メドレーバージョン」

南米の名曲 
「La Bamba」

友人と共同翻訳、ボリビア人が好きな愛を謡った曲
「カブトムシ」

日本の名曲
「ふるさと」

そして、ボリビアの踊りの曲
「idillo」

毎回、お決まりのこの5曲であったが、もうあの、死んだ魚の目をして「bien bien」という者はいなかった。


日本人はお酒を飲んで楽しくなってくると、カラオケに行く人がたくさんいる。
それと同じように、ボリビア人はお酒を飲んで楽しくなると踊りだすのだ。

だからであろう、最後のidilloを歌いだすと、もう大盛り上がり、何度もこの曲をアンコールして歌わせられるのだ。
そしてボリビア人は踊りだす。

そうそう、これこれ、この反応である。
音楽を通してお互いに楽しみあえる、この状況を求めていたのだ。
音楽が国境を越える、これこそ僕の思い描いていた光景だった。

ただ、それはボリビアに来た頃に思っていたものとは少し形を変えて。

僕は、言葉ができない代わりに、音楽でわかりあえる事かができるからこそ、音楽は国境を越えると思っていたのだ。
しかし、それは、ほんのひと時、または一瞬の出会いの場合なら効果があったのかもしれない。
相手の国に対して、何も知らないからこそ、お互いを知ろうとする気持ちがあるから。

だが、あの2年間のボリビア生活ではそれは通用しなかった。もし仮に僕の住んでいた場所が都市部だったらまた話は変わってきたかもしれないが、、、、

僕の能力にもいくぶん問題があった事は否めないが、彼らの好きな音楽に理解が無く、自分の好きな曲ばかり歌う、一人よがりな演奏には、村の人には受け入れられず、飽きられ、興味を持たれないものになってしまったのだろう。
いつしか、僕にギター弾いてよ、と言う人は周りから居なくなってしまった。

それと同じように、僕もボリビアの曲を任期中の長い間、受け入れられなかった。
そして日本の曲にストレス発散という名目の殻の中に閉じこもってしまった。

そんな中、音楽データを無くし、ボリビアの曲以外聞く手段を持たなくなった事で初めて自分からボリビアの曲に触れた。
そこから、今までなかったコミュニケーションの幅が増えた。
それは、今までと違った関わりだった、ああ話さなくてはいけない、コミュニケーションをとらなくてはいけないという、義務的な感じでは無く、自分から進んで取れるコミュニケーション、心から楽しめる。

そんな自分の変化に周りとの関わり合いも変わっていった、冒頭のように。
これもすべて、ボリビアの音楽というものが好きになった事がきっかけであったと思う。
好きな曲を見つけ、それを歌う事で、僕はボリビアの曲を好きになっただけでなく、村人を、村を、ボリビアという一つのちっちゃなコミュニテーであるが、彼らの事も好きになっていたようだ。
だから、僕にとって任地はとても居心地のいい場所だった。住環境は最悪だったが、村に帰れば、みんな僕の事を知っている。ほかの町だと、おいチニート(中国人)と呼び掛けられるが、任地では名前で呼んでくれる。
だから任地に戻ってくる度に、外国にいるはずなのに、ここだけは僕にとっては日本にいる時のように感じるホームであった。

「idillo」この曲にはそんなボリビアにいた頃の、良くも悪くも僕のここでの生活を好転させてくれた、ボリビアでの思い出の詰まった名曲である。

この一連のエントリーの題名「音楽は国境を越えるのか」
今、思い返すと、初めてフィピンで、神父のお兄さん達と歌ったとき、あの時は自分が感動したことしか頭になかった。だから、一方的に音楽は国境を越えるものだと深く信じ込んでしまったのだろう。
しかし、本当に感動したのは、相手の神父さんも楽しんでいたからだろう。その時歌った曲は全然覚えていないが、彼らの教えたくれた曲だ。それは、僕が感じた、言葉ができなくてコミュニケーションが全然取れていなかった状態がギター一本でその場を変えた事に感動したが、その逆に神父さん達は自分の好きな曲を一緒に歌えた事に喜びを感じていたのかもしれない。


だから、始めっからその答えは体験していたのだ、ただ、自分自身の感動が強く思い込みに近い形になって刻まれ、ちょとの成功で調子にのってしまって見失っていた。自分がギターを弾けて演奏できれば体現できると。しかし、あのフィリピンで感じたものを体現するにはそれでは駄目であった。楽しむっていうのは相手ありきなのだから、相手の好きな曲、好きなリズム、好きな歌詞、そんな相手を思えるものではないといけないと。そんな事をあの2年間のボリビア生活で教えてもらったのである。

そこで、今改めて思うことは、「音楽は国境を越えるもの」プラスして

「音楽は国境を越えて一緒に楽しめるもの」であるということである。




音楽は国境を越えるのか 「完」





この一連のエントリー、かなり数が増えてしまったが、、、


まだまだ続くよ~





音楽は国境を越えるのか(ボリビア編その5) - 2014.09.23 Tue

ボリビア人とパーティーをしていた時の事である。

お酒を飲んで楽しくなってきた頃、がたいのいいお兄さんが踊ろうぜとみんなに呼び掛けたのであった。

その時のメンバーには、日本人が二人にアルゼンチン人が一人と、ボリビアの踊りを知らない者が複数名いたこともあり、がたいのいいお兄さんが丁寧に踊り方を教えてくれたのであった。

いつもなら、勝手に酔っぱらい、勝手に踊りだすの人ばかりなのだが、その日に限って、丁寧に一からステップを教えてくれたのである。

こんな珍しい事もあるのかと思いつつも、せっかくの機会だから覚えようと思って、見よう見まねで練習していると、音楽が流れ始めたのである。

静かな歌いだしから始まり、一章節を歌い切ったあたりから、一斉に色んな楽器の音が鳴り始めるのだ。
その瞬間がステップのスタートの合図。
と一見怖そうながたいのいいお兄さんが丁寧に教えてくれるのだ。

次に間奏の部分はこのステップをするとか、このタイミングではこのステップをするのだとか色々教えてくれるのだ。
しかもそのステップはそんなに難しいものじゃないから直ぐに見ながら踊れたのだ。
そんな感じで、あっという間に曲は終わってしまった。以外に楽しく、直ぐに終わってしまった、物足りない感とうまくできなかった所、タイミングを間違えてしまったところなどがあり、次こそはという意気込みあり、もう一回というリクエストを受けて、再びその曲が流れ始めたのである。

何回目かのリピートで僕も完璧に踊りを覚えたら、ますます踊るのが楽しくなってきたのである。
今まで、踊る事は何度かあったが、ここまで面白いと思う事はなかった。それは今思うのだが、踊りを踊れるように、周りを見て、どう踊ったらいいか観察しながら踊っていたから、その気持ちは踊りを踊れるようにと思うだけでいっこうに踊りを楽しんでいなかったのだ。だからこの時、ちゃんと踊れるようになって、ボリビアでの踊りを本当の意味で楽しめられたかもしれない。

そして、踊り疲れるまで、踊り続けたのだった。


次の日、朝起きた瞬間も、その踊りがとても楽しく忘れられなかった。
そして、すぐさま、そのがたいのいいお兄さんに聞いたのだ、昨日踊った曲の名前を、
そして、それが「idillo」であり、音源を確保してからすぐに耳コピを開始したのだった。

音楽は国境を越えるのか(ボリビア編その4) - 2014.09.20 Sat

正直、ボリビアの人が聞く曲が嫌いだった。
特に僕がよく聞いたのは、首都に移動するときに聞いた曲だ。
チャチャだかチャカだか、忘れたが、そんな名前のジャンルだ。

キーボードかなんだか知らないが、機械音みたいな音が散りばめられた、単調な曲だ。
抑揚もなければ、どれも似たような曲ばかりで、全く違いなどわからない。

これを、首都からの行き帰り、延々ときかされるのだからたまったものではない。
それに、ボリビアにはフォルクローレという立派な曲があるのになぜそれを流さないと、怒りすら出てきそうだった。

ただ、フォルクローレも個人的には寂しい感じがするので、あまり好きではなかったので聞こうとも思わなかったが。


なので、お決まりの曲がバスの中で流れると、イヤホンを耳に着けて日本の曲ばかり聞いていたのである。

ボリビアの曲が好きではない、というのもあったが、僕が邦楽ばかり聞いていたのにはもう一つ理由があった。
そうストレス発散のためだ。

なんやかんや、色々悩むボリビアでの二年間であったから、日本の曲で、自分を励ましてくれる歌詞に元気をもらっていたのだ。

なのでストレス発散のためでもあったので、僕の日本語曲離れは進まず、むしろボリビアの音楽離れに拍車をかけていったのだった。

そんな僕に、神はチャンスを与えてくれたのだと今は思える。
今でも忘れない、ボリビア生活での最大の盗難事件である。

ノートパソコンと音楽プレイヤーを盗まれたのだ。
その二つを盗まれた事によって、強制的に僕に日本語の曲を聴く手段を奪ったのである。

音楽以外にも、あのウユニ塩湖の写真も無くなってしまったので、そのショックは当時の僕にとってはかなりの大ダメージであった。(ちなみにFBの僕のページに使ってる写真は帰国後、一緒にウユニ塩湖に行った後輩から貰ったものである。)


そこから、僕の音楽なし生活が始まる。(ギターはあって弾いていたけど、それではなく、ただ聞くだけの音楽生活の事)


と言っても、耐えられなかった。
音楽なしでは、もう生きていけないぐらい、僕は音楽に頼っていた。心のメンタルを保てなかったぐらいに。なのでなんでもよかった。音楽が聴ければ、それこそ、毛嫌いしていたボリビアの曲を貪るように聞き始めたのだった。

しかし、最初は、やっぱ面白くないと思う部分もあったのだが、いろんなジャンルの曲を聴いているうちに好きなジャンルを見つけたり、歌詞の意味が分かると、ボリビア人って恋の曲がほんと好きなんだなとわかるようになった。
そして、好きなジャンルの曲を見つけるとその曲について会話が生まれたりするのだ。これはどういう意味なのって僕が聞いたり、この曲はタカオが好きかって聞いてきたり、この歌詞は面白いよねって会話が弾んだりした。

今まで日本の曲ばかりこだわっていた頃には味わえなかった、音楽のコミュニケーションが生まれたのであった。

そして、僕はあるボリビアの名曲に出会ったのである。
その曲こそ、僕の農園での演奏を聴いている人ならよくご存じの「idillo」(イディリョ)だ。

この曲に出会った事によって僕の任地での演奏活動が息を吹き返し始めたのであった。
















音楽は国境を越えるのか(ボリビア編その3) - 2014.09.18 Thu

村で演奏しなくなったからといって、ギターを辞めたわけではなかった。

むしろもっと弾くようになった。
まぁ、時間も沢山あったし、やることもなかったし、ストレス発散にもなったからだ。

そして、自分なりに、もう少し上手くなれば、もうちょっとみんな聴いてくれるのではないかと思って。

それに、この時、気づいたのだが、歌いながら完璧に弾ける曲が一曲もないことに。
ギターは弾けるのだが、歌のほうがダメだった。
もともと、歌は下手なので、いつも誰かに歌ってもらってばかりなので、ギターは弾けても歌詞を全然覚えていなかったからだ。

なので、いつも途中で歌詞を忘れて、ラララと言ってばかりだった。
多分これがいけないのだろうと一人で弾いて歌えるように何曲も増やしていったのである。

それと並行して、これはもう最高の歌だろうと個人的に思っている、ゆずの「スマイル」という曲をスペイン語に訳す作業もしていた。
「君の微笑みが世界を変えるスマイル」という歌詞でわかるように、笑顔は素晴らしいねっていう曲だ。
これを任地の人に是非聞かせてやりたいと思い同僚に手直ししてもらいながら翻訳したのだ。

そして、いざ任地の小学校に行って披露したのだが、子供たちの表情はポカンとしていた。
この生き物はいったい何だろうという、この国に来てよく子供たちから向けられる視線である。

しかし、今回はスペイン語に変えたので少しは反応があるんじゃないかと、しかも歌詞的には非常にいい歌詞と思っていたので。でも反応はイマイチ。

先生方も、お決まりの死んだ魚の目ををしながら「Bien Bien」とお決まりの文句を言う。
その後、歌った、スペイン語のLA BAMBAという曲は盛り上がるのに、歌詞なんて俺は船乗りだと意味わかんない事いっているのに。

何がダメなんだろうと、またまた考えさせられるのである。
うん、多分、いや、絶対、日本の曲だから駄目なのだろう。
うすうす感じてはいたのだが、ボリビアの村の人と町の人には、音楽に対する好みの違いがあった。
好みの違いというか、触れる情報量の違いだろう。

今までボリビアで演奏して成功したと思える経験をできたのは、すべて都市部だ。都市部での生活は速度こそ遅いもののインターネットも使えるし、日本とあまり変わらない生活を送れる。なので自然と情報というものが入ってきやすい環境だ。

しかし、僕の任地は田舎も田舎で、音楽に触れる機会すらほとんどない。あるとすれば、年に一度のお祭りの時か、移動に使うバスの中で聞く音楽程度だろう。(高校生は携帯をもっている子もいるので外部から音楽を聴ける子もいるが)
だからであろうか、町の人と村の人の僕の演奏に対する反応が違うのだ。

今まで聞いた事のなかった音楽を聴いて、ああなんていい曲なんだろうと思えるはずもない。しかも僕が歌うのだから。

そして、ある子供たちと遊んでいるときのことである。

子供たちがギターを持っている僕を見つけて、なんか弾いてと近寄ってきたのである。
なので、練習した、ポニョやアンパンマーチを披露するのだが、いつものポカンとした表情だ。

ああ、やっぱまたダメかと思っていると。
一人の男の子が、この曲知っているかと、可愛らしい歌声で歌い始めたのである。

それは僕が子供の頃によく聞いた歌であった。
「グー チョキ パー で何作ろう、何作ろう」と歌う教育テレビや幼稚園でよく聞いたあの曲だ。(歌の名前知らないが)

それなら分かるぞと思って、ギターの伴奏を入れると、僕が歌っている時、何、この生き物という目で見てくる子供たちが嬉々として歌い始めたのだ。

そう、僕が任地に派遣されてずっと待っていた反応が返ってきたのだ。
そして、それを日本語バージョンで歌うと、興味深げに聞いてきてくれるのだ。
そうそう、この反応、この反応。

この曲を期に僕自身、やっと一つの事が理解できたのだと思う。
わかりきった答えではあったのだが、自分の知ってる曲、好きな曲が楽しいよねと。
それを実体験をもとに、5歳児の男の子と3歳児の女の子に教えられたのだった。

それがわかったら、もっとボリビアの曲を歌えるように頑張ろうと意を決したのだった。












が、しかし、そんな当時の僕には大きな障壁があった。
ボリビアの曲が好きじゃない。












音楽は国境を越えるのか(ボリビア編その2) - 2014.09.16 Tue

任地に到着してから、少しして早速、ギター友達ができた。(以前のエントリー音楽って楽しいをご参照くださいhttp://uguisuflyflyfly.blog111.fc2.com/blog-entry-34.html)

当時58歳という、自分の親父と同い年の人と友達になったのだ。
さすが音楽は言葉だけじゃなく年齢も超えるのか。
やっぱギターやってて良かったとここでも改めて思うのであった。

そのギター友達の名前はリカルド。
白髪混じりのお医者さんだ。
見た目は、疲れたおっさんに見えるのだがギターを持つと自分の世界に行ってしまったかのように気持ち良さそうに弾き語るのだ。

そんな彼の家に行くと、町から来た研修生の医者やナースが寮生活をおくっているのだ。

なので最初の頃はよくお邪魔して、毎度、一緒にギターを弾いては楽しんでいたのである。

しかし、そんな彼らとの交流は少しづつ変化していった。
お互い、自分の国の好きな曲を出し尽くしてしまうと、飽きてきてしまったのか面白みを感じなくなりはじめた。
最初は僕の弾く日本の曲を楽しげに聞いていたのに、リカルドはもはや自分が弾き語るのを楽しみ始め、それを聞いている僕自身もボリビアの曲にイマイチ興味を持てなかったので、つまらなくなってしまったのだ。

因みに、ボリビアにもコードをふっただけの、楽譜が存在する。医者の研修生がそれを持ってきたので、みんなで大合唱になったのだ。大体コードを見ればギターを弾ける人は、初見か一回聞けば直ぐに弾けるのだが、ここに異文化の壁を感じた。コードの表記が違うのだ。日本だと、Cと表記される所、この国はDoと表記されるのだ。表記ごとき関係ないじゃんと思われるかもしれないが、ギターを始めてこのかた、Cという文字を見たら押さえ方は6弦はミュートし、5弦3フレットなどと覚えてきたので、文字を見れば反射的に押さえられるのだがDoでは一回頭の中で変換しなければならない。なので、いつもやってたように弾けないのだから、みんなの大合唱の中では蚊帳の外である。もし、コード表記が同じであれば、違った展開になったかもしれないが、この違いが、リカルド達との演奏に面白味を薄れさせるのに拍車を掛けたのはいうまでもない。


そして、その変化はリカルド達だけに留まらなかった。

任地で僕の演奏を聞いてくれていた周りの人たちの反応もだんだんと薄れていくのである。
bien bien(いいね いいね)と言ってくれるのだが、彼らの表情を見れば明らかにそれがお世辞であるとわかる。
心から楽しんでいないという感じが伝わってくるのだ。その場の雰囲気が、学校の校長の話が右から左へと流れ、頭の中では、別の事を考えてしまう。あの生徒達が醸し出すような関心無しのオーラが。

さすがに同じレパートリーだけではいけないなと思うので、新しい曲をやるのだが、やっぱり反応は悪い。
子供たちなんて何だこいつはと僕が外国人であることもあいまって、僕を見る目は自分の範疇の想像を越えた、理解不能なものをどうにか理解しようとする目でみてくるのだ。

こんな村の人の反応に、段々と任地で演奏することが減ってきたのである。



そして、サンタクルスや今までのボリビアに来て成功した経験が仇となったのだ。

オルロという街には、ボリビア版、オタクグループが存在する。確か名前は「きょうだい」だった気がするが、そんなオタク達の祭典に参加した時の事だった。(以前のエントリーオルロオタク祭りを参照して下さいhttp://uguisuflyflyfly.blog111.fc2.com/blog-entry-33.html)
その祭典には、アニメ好き、アイドル好きなどと、分野はわかれるようだが、日本のサブカルチャーを愛するもの達が集いコスプレやカラオケ大会、ダンスなどを披露していたのだ。

そして僕らも嵐のONELOVEという曲を踊り付きで参加したのだ。
日本文化の紹介ということで、気持ち遊び気分だったのだが。

思った以上の大反響。いや今まで味わった事の無い、反響ぶりだったのだ。
発表の後は写真撮影の引っ張りだこ、まさにアイドルとはこんな感覚を味わっているのかな~と思えるような体験であった。

そう、その経験から調子にのってしまったことは否めない。
だから、村人の反応に、こんなはずじゃなかったのにと思うようになっていったのである。
それが、今まで物珍しさから、面白がっていて、そして、それが飽きられていた事に気づかずに。



そして唯一のギター友達であったボリビア人は、僕の任地から仕事の都合でいなくなり、それを機に僕は全く、任地の人の前で演奏をすることが無くなったのであった。






音楽は国境を越えるのか(ボリビア編その1) - 2014.09.14 Sun

外国に2年間住むということで、モーリスのギター達は知り合いに託し、ボリビアで新たなギターを購入した。

その名もマスアルト
(以前のエントリー相棒をご参照くださいhttp://uguisuflyflyfly.blog111.fc2.com/blog-entry-8.html)

マスアルトはクラッシックギターである。クラッシックギターなのでコード弾きには適していないし、ネックが太く、最初のうちは慣れなかったのだが慣れると味わい深い音がでてソロギターをこの頃は一所懸命練習したもんだ。

さて、マスアルトを手に入れてから、再び、音楽ライフが始まったのだ。
まずは、任地に派遣される前の、サンタクルスという、町で語学練習をしていた時である。

早速買ったギターを夜な夜な一緒に派遣された同期の隊員と弾いてると、仲良くなった、ホテルマンのボリビア人がやって来た。

彼は、自分もギターが弾けるといって、ギターを弾いて、一緒に楽しんだのである。

これこれ、ギター一本で言葉があまりできなくても、交流できるこれ、僕はこの為にギターをやってたんだと、久々の外国に来て、やっぱり、ギターはすげーなとほくそんでいたのである。

そして、改めてここで紹介しようと思う。アグリクルトーレスというコンビについて。
アグリクルトーレスの相方とは、実は、ボリビアに派遣される前の派遣前訓練からコンビを組んでいたのである。
仮に彼の名前をバンコク君としよう。
バンコク君とは、訓練中の休日にお酒を飲んで酔って気持ちよくなり、一緒に歌っていると、お互いゆずが好きなことがわかったのだ。

そして、その酒の勢いで、訓練中に企画されていた文化祭に一緒に出ようということになったのだ。僕はギター、バンコク君はハーモニカで。

因みに、アグリクルトーレスとはスペイン語で農業者達という意味だ。お互い農業関係の職種で派遣されるということから安易だがこの名前にした。

しかし、本番の直前に当時、流行っていた新型インフルエンザが訓練所に蔓延したのだ。あの密閉された空間で共同生活、たった一人が持ち帰ったインフルエンザが瞬く間に広がったのだ、多分延60人くらいはこの病に倒れたのではないだろうか。そして、もれなく僕もダウン。

せっかく一所懸命練習したのにアグリクルトーレスは陽の目に合うことなかった。

だが、神は僕らにもう一度チャンスをくれたのだ。
そう、バンコク君も僕も同じ国に派遣されたからである。

さて、そんなアグリクルトーレスにリベンジをする機会が早々に表れた。

僕らが勉強のためと、通っていたカフェの一つに、結構大きめのステージがあったのだ。それを見た瞬間、僕らの企みは始動した。

バンコク君曰く、外国人は何でもありだという。(ここでいう外国人とは僕らの事だ)日本でだったら、常識や恥ずかしさでできない事が、自分らが外国人ならできるということで、、、

そのお店の人にお願いして、ステージを使わせてもらったのだ。(以前のエントリー心に残る思い出を参照下さいhttp://uguisuflyflyfly.blog111.fc2.com/blog-entry-14.html)

結果から言うと、本番にいと弱い僕にとっては、珍しく大成功であった。

演奏の後、何人かの人がやって来て、お前らは日本のプロミュージシャンかと嬉しい事言ってくれたり、一緒に写真とってとせがまれたり、日本にいたら決して
無い経験ができた事に調子にのっていたのだ。

そう、やっぱり、音楽は国境を越える素晴らしいもので、ギターを弾ける事によってあのフィリピンでの悔しい思いに一矢報いたのだ。

そして、これから始まるボリビアライフにあの時の僕は心を踊らせていたのだった。


音楽は国境をこえるのか(雌伏編) - 2014.09.11 Thu

初めて買ったギターは、湿気により、あえなくネックが捻じれて使い物にならなくなってしまった。
そこで、1年以上かけて東京のギター屋を練り歩いて見つけたのが、MorrisのF-01というギターだ。

ボディータイプはモーリス規格のフォークタイプ
材はナトーである。

ナトーというと、安価なギターに使われる材であまり評判はよくないのだが、単にギターに向かないという訳ではなく、個体差によりその音色に安定性がないとう事で、価値が低いそうだ。ただ、中にはいい音色を醸し出すものがあって、プロでも愛用している人がいるのだ。

一目惚れで盲信に近い感じで購入したが、今でもお気に入りのギターなので、その音色にはこれはあたりのナトーだと勝手に思っている。

そんなF-01はモーリスのミニギターとは違い、海外には一度も行ったことがないが、いつも僕の傍らにいた、最高の相棒であった。

ツムヤンとうい名のグループから始まり、カズ&タカ、ええじゃないかヒーローズ、アグリクルトーレスと、その他、様々な人と組んで、友達の誕生会だったり、何かのイベントの出し物などで、よく発表したものである。何回、演奏したか自分でも覚えていないくらいに。

今、思うのだが、あまりうまくもない僕の演奏を聴いてくれた人たちに感謝である。中にはまたタカオ、ゆずを歌ってると思われていたかもしれないが、それでも僕の演奏を聴いてくれた人たちがいてくれたお蔭で、人前で演奏するという経験を積むことで、場慣れををすることができたのだから。

そんな中、始めて演奏した曲は今でも鮮明に覚えている。19の大自然、ゆずのスマイルとアゲイン2の3曲だ。
特にアゲイン2は初めて行ったライブで、ゆずが一番最初に演奏した曲がアゲイン2だった。

いきなり、激しいギターのストロークから始まり、その勢いの良さに、駆け出しのギター少年は心を鷲摑みにされたのだ。
たぶん、あのライブに行き、あの曲を聞かなければ、僕自身、ゆずに興味を持たなかっただろうというくらい、衝撃を受けたのである。

そして、埼玉アリーナに集まった皆が、そのゆずの演奏に心酔し、会場の心が一体となっている様に音楽の凄さを感じた。何万人という違う環境で育ってきた者たちが、一つのアーテイストが奏でる音楽で一つに纏まるのだから。あのスタディーツアーで感じた者とはまた違った物をこのライブで感じたのであった。

さて、そんな僕の初めての人前の演奏であったが、失敗はしていないが、成功もしていない。なにをもって成功かというのはわからないが、僕にはどうも嫌な因縁が付きまとっている。

そう、大一番に弱いのだ。

中学3年の最後の大会の前に骨折したり、高校3年生の受験の前にアキレスケン損傷、他にもアグリクルトーレスというコンビでの発表の前に、新型インフルエンザにかかり、あえなく出場を断念。

そして、この初めての発表も、一週間前の運動会で、肉離れを起こし、大転倒。ストロークの早いアゲイン2を弾くのに重要な右手首を損傷してしまった苦い思い出があるのだ。

他にも上げればきりがないほど色々あるのだが、こうも大事な時に限り、何かあるのは、ある意味何か呪われている気がする。

そんな呪われている僕であるが(笑)
ある試験への合格通知が届いていたのである。

そう青年海外協力隊の合格通知だ。
そこには、派遣国、ボリビアと記されて、、、

ボリビアってどこだ、アフリカ!?
そんなトンチンカンな事を思って、別名、宝の上に座る貧民の国、南米のボリビアに派遣されたのであった。




音楽は国境を越えるのか「実践編その2」 - 2014.09.08 Mon

話はパキスタンに行った時の話である。

フィリピンでの経験を得て、さーここでもギターをかき鳴らすかという思いでモーリスのミニギターを担いでいったのだ。

しかし、パキスタンではまず、現地の人と殆ど触れ合う事ができなかったのだ。

まぁ、目的が大学の語学研修と旅行だったので触れ合うにも通訳の人とだけであったし、治安がかなり悪かったから、外に出るにも全体行動だから、フィリピンにいた時のように気軽に出歩けなかったのだ。ただ、パキスタンの大学にいったのに、なんで生徒がいなかったのかは思い出せないが。

そんな状況なので、僕らが仲良く触れ合えたのは通訳の方だけであった。
そんな彼との触れ合いでわかった事が一つだけあった。パキスタンではギターという楽器はメジャーじゃないという事だった。

だから誰かがギターをかき鳴らし、それに合わせて歌うということがなかったのだ。

それよりもこの国はお隣インドから流れてくるインドミュージックやイスラム教の聖歌が主流であったのだ。


どちらも聞いたことはあり、当時、イスラム音楽のあの声と手でだけで奏でる音楽に惹かれていった。だけど、持っていたCDは何回もの引越しで無くなってしまったが。

だが、当時の僕としてはPOPsが全世界にあるものだと信じでいたので、驚きを隠せなかった。


しかし、なんとかお互いに知っている曲はないかと、色々な曲を弾いていると、あるではないか。

あの小学校の時にもらう、みんなの歌の中に。

「幸せなら手を叩こう」
ちょっと、日本と外国では歌詞の問題か、サビの部分のメロディーがちょっとだけ違うのだが、フィリピンでもインドネシアにも、ボリビアにもあるのである。

因みな、僕はフィリピンに行った時からこの歌の歌詞を収集している。
今のところ、タガログ語、ウルドゥー語、英語、スペイン語はあるのだが、夢は雑多に集まった異国人同士の集まりの中で集まっ国の言葉毎に幸せなら手を叩こうを唄う事である。それはいつになるかわからないが、その時のために密かに準備を続けているのである。

さて、話は戻るが通訳の人に教えてもらいウルドゥー語での幸せなら手を叩こうを一緒に熱唱したのだった。

やっぱり、音楽は国境を越えるのものだなと満足したのである。

そして、この曲、実はボリビアに行った時に知ったのだが、キリスト教の聖歌の一つらしい。神聖な歌だからあまり歌わないんだよねと言われたのを鮮明に覚えている。

そんなキリスト教の聖歌の曲がイスラム教の国でも伝えられ、知られているのかと思うと、音楽は宗教をも越えるのかと、ワクワクしたのである。

いや、キリスト教もイスラム教も元々兄弟だから、聖歌にもなにか繋がりがあるのかもしれないが、、、そこは後々解明できたらなと思う。

音楽は国境を超えるのか「実践編 その1」 - 2014.09.06 Sat

モーリスのミニギター

気づけは、こいつが1番の古株である。
20歳の誕生日の時に、当時住んでいた寮で誕生日プレゼントとしてもらった大切なギターである。

(ギター屋で一目惚れして、お金ないから節約に節約を重ねて、それでも足りない分を補ってくれて、プレゼントしてくれたギターだ。)

そして、こいつは僕と一緒に色んな所へ旅をした。

パキスタンに行ったり、インドネシアに行ったり、インドに行ったり、フィリピンに行ったり。はたまた、僕の友達に連れられてエチオピアにも一人旅をしている、旅慣れたギターなのだ。

鳴りは良くないし、小さくて弾きにくいのだが、その小ささで、どこでも持っていける便利なギターなのだ。
今はもっぱらインドネシア人の子とどこか行くときに一緒に持っていくのである。因みに、日本中もあちこちいっている。

さて、僕がこのギターを欲したのは他でもない、現地の人と交流するためだ。
高校生の時に叶えららなかった事を叶えるために。

話は2度目のフィリピンでのボランティア活動の事である。

現地は台風で、土砂崩れが起こり、町が半壊していた。
緊急援助は終わっていて、だいぶ現地も落ち着いていたのだが、土砂崩れの爪痕は今だに残っていた。

余談だが、台風による土砂崩れの原因は実は山の木々の過伐採にあった。国では伐採の禁止をしていたのだが、外国の業者の買取により、木々を切り倒し密売していたのである。その中に日本の業者もいた事に憤りと申し訳なさを感じたのはいうまでもない。

そんな僕らに課さられた、いや用意されたボランティア活動は、小学校への給食や村への食料配給、荒れた山のへの苗木の定植だった。

この頃農業というものに目覚め始めたのだが、ここでその事を書くと話が大きくずれるので置いておこう。

ボランティア活動中、モーリスのミニギターは活躍した。
学校への給食配給の度に日本の曲紹介や、現地の子供向けの歌を歌ったのだ。

そして、一緒にボランティア活動をする現地のスタッフ達との交流会の時にも大いに活躍した。

ボランティアスタッフ達がフィリピンの曲を歌えば、僕らは、日本の曲を歌うという歌合戦が繰り広げられたのだ。

この時の経験は、後にも先にもないとっても楽しい経験だった。
そして、高校生の時に思った音楽は国境を超えるという思いが確信に変わった瞬間でもあった。

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Author:ゴンベイ
ド~レ~ミ~ってちゃんと歌っているつもりなのに、人からは音外れてるよって言われるんだよね。トントントンってちゃんとリズムを刻んでるって思うだけど、人からは段々早くなっているよって言われるんだよね。でもメロディーもリズムも人それぞれ違うもんだと思うから、人と合わせて調和をとることが大切。そんな私のハーモニー、このブログで奏でていきたいと思う。

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