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2014-10

杉箸アカカンバ - 2014.10.31 Fri

先日、初めての敦賀上陸を果たしました。

敦賀とは、福井県の南の中心となる町の事で、僕の住んでいる、福井市からちょっと遠いのでなかなか行くことができなかったのですが、今回、野菜ソムリエのメンバーとイベントに参加するために行くことができました。

さて、そのイベントとは、敦賀物産フェア―なのですが、そこで、杉箸地区であかかんばを生産している生産組合の方と野菜ソムリエのコラボという事で、メニュー提案、そしてアカカンバの紹介を致しました。


僕の役目は、アカカンバの紹介という事で、生産者さんを交えてのご紹介をさせて頂きました。
アカカンバとは、赤カブの事なのですが、そのカブの呼び名がカンバと呼ばれていることから、アカカンバと呼ばれているんですね。

という事で、会場入りをしたのですが、おいおい、待ってよ、聞いてないよこんなでかい会場とはと、田舎の施設だから小さいだろうと、軽い気持ちでやってきたので、そのあまりの大きさ、そして徐々に増える人、人、人にどんどんあがってきてしまったのでした。

事前準備はしていたもの、緊張のあまり、調べた事が~
でも、どうにか司会のお姉さんと生産者さんのおかげで、お話することができました。



ちなみに、日本で生産されているカブは実は3県でその生産量は50%を越えるそうなのです。
ちなみに、千葉、埼玉、青森

そして、生産量の約95%が12の県で生産されています。なので、皆さんが食べる、スーパーで買ってくる野菜のほとんどが、この12の県のカブで福井県のカブというのは非常に少ないんですね。

そして、カブには大きく分けて、二つの種類があるのです。
一つは東洋種、一つは西洋種です。

日本の西側が東洋種が主流で、東側は西洋種が主流。
そして、その東西品種の境目になる所をカブララインと呼び、福井県はそのカブララインが通っていて、両品種のある珍しい地域でもあるんですね。

そんな敦賀の杉箸地区のアカカンバは5農家、8人の生産者しか作っていないという、かなり希少なカブ。
とっても珍しいカブなんですね。


緊張はしたものの、そんなアカカンバを作っている農家さんの方とお会いできてお話できたのは大変有意義な時間をすごせました。一つ僕も勉強になりましたし~



さて、杉箸アカカンバ、出荷時期は、10月から、2月頃まで、色々な加工品もありますので、この機に是非食べてみて下さい。











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タンジュサリ農林高校一団来園 - 2014.10.28 Tue

タンジュサリ農林高校は、農園で働くインドネシア人の子達の母校だ。

このタンジュサリ農林高校は、福井の農林高校に2年に1回、訪問しているのだが、足を伸ばして、わざわざ僕らの農園まで来てくれたのだ。

そして、ずっとこちらのブログでご無沙汰になっていたが、このタンジュサり農林高校は今回のインドネシアスタディーツアーでお世話になる学校なのである。

という事で、今回、副校長にあたる方が来られるので直に会ってスタディーツアーに関してのお話をすることができたのだ。

主にこちらからお願いをするという形にはなったが、副校長はどれも快く引受けてくれたのである。
あまりにも親切な副校長、ちょっと調子に乗って、僕が交流会で歌を歌ってもいいかと通訳してもらうと、
おお、それなら、こちらも歌手やバンドを手配しようと大事に。

でもそこは、通訳の園主がなだめて、高校生の歌の発表に収まったのだが、訪問する僕らを歓迎してくれようと気持ちが、とても伝わったのだった。


さて、そんな副校長との通訳を通しての会話であったが、とある質問をしてみた。
今来ているインドネシア人の子の事である。

彼らは高校生の時、どんな子だったかと?
インドネシア人の研修生の子に通訳してもらったのだが、どこか通訳が違ったのか、返ってきた答えが少し違ったのだ。

「私は彼らを信じているから日本に送り出した」
ほんとはもっと色んな事を言ってはいたのだと思うのだが、なぜかその翻訳された一言だけで僕には十分な言葉であった。

ここで補足ではあるが、うちに来ている研修生は、タンジュサり農林高校の卒業生というのが応募資格に必要なのである。そして、その中から選考されて来ているエリートなのだ。

副校長はその選考に携わり、今いる彼らを送り出してくれた方で、その言葉を聞いた時、僕は副校長は彼らに大きな期待をよせているのだなと感じたのだ。

普段、研修生の子達と触れ合っていると、中学生みたいなくだらない事しか言わないし、子供みたいにギャーギャー騒いでる彼らしか知らない、言葉ができないから自分で何もできない彼らしか知らない。仕事を間違えて怒られている彼らしか知らない。だけどインドネシアでの彼らをその副校長の言葉で垣間見れた気がした。僕の知らない彼らを。

それは、僕のインドネシアスタディーツアーの一番の目的でもある、僕の知らない彼らを見る事でもっと農園で働く研修生の子達に対しての理解を深めたいという。

この副校長の言葉を聞くまで、正直、参加者集めや、準備で追われていて、僕自身本来の目的を忘れていたと思う。
企画側としてどうこのスタディーツアーを成功させるかばかり考えて。

だけど、今はこの副校長との短い時間での触れ合いだけで、研修生の子の事を少しでも知れた、これが彼らの住んでいた場所に行くんだから、一体何が知れるんだろう、何を得られるんだろうと、ワクワクしてきたのである。


副校長と僕。
なぜか副校長が僕に自分の帽子をくれたのだ。
でもなぜか、そのプレゼントがとても嬉しかった、言葉もしゃべれない僕であるが、今回のスタディーツアー一団の代表と認めてくれたみたいな感じがして。(代表は僕ではないですけど~)

お礼に僕も帽子を持っていこう~


さて、これから航空券の手続きだ、インドネシア行くぞ!!









アンポンタン - 2014.10.21 Tue

高校の時、僕は世界史の先生の授業が好きだった。



授業の説明が上手とかそういう訳ではなかったが、その授業に関わる時に話してくれる余談が面白かったからだ。
なので、授業中のテストに出るよ、という所はたいして聞いていなかったのに、その余談だけは、いつも楽しみに聞いていたのだ。

そんな中で、アンポンタンという言葉の由来の話をしてくれた。
掻い摘んで言うと、船長さんが日本人、船員はインドネシア人で、上下関係が日本人が上であったそうだ。

なので、言葉が通じなくて見当違いの事をするインドネシア人に対して、日本人が叩いて怒ってる、という事が度々あった。
そして、その度に、インドネシア人は「ごめんなさい、ごめんなさい」と母国語で謝ったていたそうだ。

その言葉が日本人の耳にはアンポンタンと聞こえた。だから日本人に怒られて「ごめんなさい」と日本人にはアンポンタン、アンポンタンばかり聞こえるから、へまばかりして、アホな事をする奴はアンポンタンと言う言葉が出来上がったそうだ。


そんな内容を、僕は大学生になり、自慢げに話していた。
みんなアンポンタンの語源はインドネシア語のごめんなさいなんだよと~
そしてその時、丁度、インドネシア語を勉強をしてる友達がいたから、そうでしょうと、同意を求めたらその答えは思っていたものと違ったのだ。

「え、インドネシア語でごめんなさいは、マアップだよ」と

先生ーーーー!?
と叫びたくなるぐらい、動揺して、先生に裏切られた思いと、皆の前で恥をかいた恥ずかしさで硬直したのだった。
その場では、じゃぁ高校の先生が嘘ついていたんだね~と、全て先生のせいにして逃げたが、あんなに面白かった話が嘘だったのかと思うと、僕の高校時代のあのワクワクした純情な心を返せてとなんとも言えない気持ちだけが残ったのだった。

そんな苦い思い出から数年、農園のインドネシア人の子から、急にアンポンタンという言葉の意味を聴かれたのだ。
あの日から、アンポンタンという言葉なんて、嫌でも使わなかったのだが、彼からの質問に、そんな事を思い出しつつ、その意味を答えたのだった。

そこで、ふと思って、「ごめんなさい」という言葉のインドネシア語の意味を聞いたのだ、いや、彼らの民族語、スダン語のごめんなさいの意味を。なぜなら、インドネシアには沢山の民族がいるから、もしかしたら他の民族の言葉であったのかもと思って。

そして、「ハーポンタン」とその子は答えたのだった。

お前らか、アンポンタンは~
失敬、君らの民族の言葉が語源だったのかと。
ちなみに、「ハー」は丁寧な言葉、日本でいう「お」に相当する言葉らしい、そして「ポンタン」が軽い感じのごめんという言葉だそうだ。


それにしてもこんなに近くに、僕の苦い思い出を払拭してくれる答えがあったとは。
10年ぐらいして、高校の先生が正しかったのかと証明された。


ごめんなさい先生、僕は先生を嘘つきだと思っていました。
「アンポンタン」




トマトジュース飲み比べ - 2014.10.17 Fri

数週間前のことです。
福井県の野菜コミュニティーで、トマトジュースの試飲販売が行われました。
僕自身、仕事で参加する事ができなかったのですが、事前に試飲販売をする方の飲み比べ勉強会に参加させてもらったのです。

トマトは好きなのですが、実はトマトジュースは嫌いです。せっかく美味しいトマトをなんでジュースになんかしてしまうのかと、筋金入りにのアンチトマトジュース派なのですが、飲み比べとか、食べ比べとか、野菜ソムリエとして勉強しておきといなと思って参加してみました。やっぱり人に野菜の美味しさを伝えるには、自分自身が味を知らなくてはいけないので。

さて、ここで試飲会のレビュー記録しておきたいと思います。

右から良く市販されているデルモンテのトマトジュース
福井県の農家カメハメハ農場のトマトジュース
福井県特産のミディートマトである「越のルビー」
福井市の麗容という大玉トマトからエキスを抽出した「琥珀ドロップ」という名のトマトジュース
そしてお口直し用の水です(笑)


あくまで個人の意見で、人によっては好みが違うので一参考程度に聴いてもらえればいいのですが、
まずはデルモンテです。
僕がトマトジュースが嫌いな理由はこのデルモンテの味に表れています。
トマトの味というより、トマトケチャップの味がするからです。
あの果肉と果汁の甘みと酸味があるのがいのに、果肉の甘みだけが強調されていてトマト本来の味とはかけ離れている所があまりトマトジュースを好きになれない要因です。(ただ一緒に試飲された方にはこれが一番おいしいという方もいましたので、味覚は人それぞれです)

次にカメハメハ大農場のトマトジュースです。
このトマトジュースにはビックリしました。僕自身トマトジュース=デルモンテという味しか知らなかったのですが、カメハメハさんのは、生で食べるトマトの味そのものがしたからです。これならトマトが好きな僕には、まんまその味のトマトジュースなので、いくらでも飲めるという感じを受けました。トマト好きにはいいかもしれませんね。

「越のルビー」のトマトジュースですが、こちらは、デルモンテとカメハメハさんの中間という印象をうけました。
トマトの酸味も感じつつ、果肉の強さを感じるといったものです。

そして「琥珀ドロップ、」こちらは色から見て他のトマトジュースと違うのですが、味ももちろん他とは違いました。
色からは想像できない、トマトトマトした味わいです。
色から想像して、なんか美味しそうという先入観で飲むと痛い目を見るかもしれません。トマトのエキスが濃縮されているので、甘く美味しそうと思って飲むと、自分の想像と違った味に戸惑うからです。
僕自身は前情報をもらっていたので、(これは美味しくないという)覚悟をして飲んだので、思ったよりも美味しじゃんという感想になったのですが、前情報をもらってない方は、その期待を裏切られていました。
ちなみにこの「琥珀ドロップ」は他のトマトジュースと違い、そのまま飲むよりも、料理に使うといいらしいです。

そして、お水は、、、、お口直しには必要ですね(笑)

さて、トマトジュースの飲み比べをしたことで、トマトジュースといっても、色々と種類もあり味も全然違うんだなと感じました。トマトジュース嫌いな自分にとってはこの企画がなければ飲まなかったので、とてもいい機会になったと思います。

そして一つ思った事は、使われているトマトの事に関してです。

デルモンテは、世界中の契約農場
越のルビーは、福井県内の農場
カメハメハは、カメハメハ農場

と使用されているトマトが作られている農場が、広範囲から一農場に分かれています。
牛乳は、生産したら、どの農家のミルクも全部一緒になってしまうから、美味しいのも不味いのもひっくるめて僕らの口に入ります。よく採りたてが美味しいとかいいますが、それは、その農家さんが頑張って作ったミルクが、他のミルクと混ざらないからその本来の味を楽しめて美味しいのではないでしょうか。

その事はこのトマトジュースにも表れていて、全く違う畑から採ったトマトを混ぜて使うデルモンテのトマトジュースの味と、同じ圃場で作ったカメハメハのトマトジュースの味は変わってくるのではないのかと感じました。

さて、皆さん、今回紹介したトマトジュースは福井県にお住まいなら、どれも飲める事ができるので、是非お試しください。

音楽は国境を越えて楽しめるものなか?(祭りの後) - 2014.10.14 Tue


そういえば僕は祭りが好きである。
歌って踊って、楽器を弾くという事が元から好きなのである。

だから子供の頃から、祭りに参加していた。
お神輿も好きだが、纏も好きである。
ボリビアでも祭りに参加した時の事を今でも忘れらない思いでの一つである。

そして、その好きさ加減と喜びを体で表現したくなるあの昂揚感を味わう度に、やったぱ祭りはいいな~と思いまたやりたいと思うのである。

そして、今回の高屋の祭りでもその昂揚感を味わえる事ができたのは、僕ら自身の中で演奏がうまくいった証ではないだろうか。

「お祭りまんぼ」
この曲が僕の中では演奏してて一番楽しかったな~
クマさんが一生懸命日本語の歌詞を覚えて歌ってくれたこの曲

実は練習中の間は、この曲に対して、あんまり楽しんで演奏できていなかった。
なぜなら、ギターやカホン、ピアニカといった楽器での演奏がうまく合ってないというか、リズムやテンポは合っているんだけど、どことなく楽器の相性が悪いというか、演奏からどこか悲し感じがして、ノリのいい曲なのに全くノル事ができなかったので。

だけど本番を迎えた時、クマさんの、心温まる、日本語での曲紹介に、周りが和み、お祭りまんぼという事で、聞いてくれていた周りのおじいちゃんやおばあちゃん達が、その曲知ってるよ、へーどんなふうに歌ってくれるのかね~、というワクワクした目でこちらを見てくれた事によって、僕のエンジンがフル回転したのだ。

さー見てくれ、僕らの数か月間に及ぶ努力の成果をと

思い返せば色々とあった。
一人怒っている日本人とそれに対して嫌々ながら練習していたインドネシア人から始まり、新規メンバー加入と帰国、出国に伴う脱退。全然ダメな演奏をしても、何も攻めず、むしろ僕らの演奏を褒めてくれた心優しい農園たやで働く、スタッフの面々の言葉が嬉しかった事。途中、日本人一人になって、どこにもやりようのない、この気持ちを聞いてくれ理解して一緒に頑張ってくれた、日本人メンバーの存在。
練習を重ねる度に、成長をしていく、インドネシア人のメンバー

全然いい事ばかりではなく、大変だったし、引き受けたからには成功させなくては、いや成功とまではいかなくても、まともな演奏をしなくてはというプレッシャー

辛い事ばかりだったが、ふと昔の事を思い出したのだ。
大学生の頃、纏をやっていた時の事である、2か月近く、ほぼ毎日練習していた事を。
初めての挑戦であったから、初心者の僕にとって練習はきつくて大変だった。うまく纏が振れず悔し涙を流したこともあった。

ただ、あの時は本気だったから、絶対、うまく纏を振れるようになりたいと頑張った。目標があったからだ。
だからその目標に対して、できない自分が悔しくてしかたなかったし、辛かったのだと思う。

そして、その時の出来事が今の僕にすっぽりと当てはまったのだ。
ああ、僕はインドネシア人の子と、高屋での祭りで成功させたいという想いが本気だったんだと。

明確な目標があったから、それに対して付いて来ないインドネシア人にイライラしていたのかもしれない、そんな彼らを突き放せなかったのも、農園たやーず(仮)は彼ら無しでは成り立たないと。目標としてるものにたどり着くには、彼らの一人一人の頑張りがなくてはならないと。

だから、それがコミュニケーションのうまく取れない、文化の違うインドネシア人だから、練習が辛かったのではなく、その目標に対してレベルを上げようとすれば、それは必然と伴う辛さだったのだと。

そして、僕らはお祭りまでにその目標に到達できたのだと思う、観客からみたらどうだったか、それは自分達では判断できないが、少なくとも僕は、僕自身は「お祭りまんぼ」で、今までの全てを表現できたのではないかと思う。

そんなお祭りマンボは、今までどこか合わなかった楽器達が、初めて調和した瞬間だった。



さて、この一連のエントリーの命題だった「音楽は国境を越えて楽しめるものなのなのか?」
ボリビアから帰った時までは確かに音楽は国境を越えて楽しめるものだと思っていた。

しかし、農園たやで働く、インドネシア人の子達と農園たやーず(仮)を組んだ事によって、楽しいなんてそんな簡単な言葉では表せられない。

音楽を通して苦楽を共にしたからこそ、メンバーだけでしか共有できない、掛け替えのないものを手に入れた気がする。
それをなんて言葉で表現したらいいかわからないが、メンバーの一人が祭りの後に嬉しい一言を贈ってくれた。

「私は日本に来て、今まで一番楽しかった、一生の思い出」だと
うん、僕にとってもかけがえの無い思い出になりました~

なので、改めて「音楽は国境を越えて人生に花を添えるもの」と評して、この一連のエントリーを終わりにしたいと思います。長い間、このエントリーを読んで下った皆様ありがとうございました。














最後に
このブログでは僕の主観で書いていますが、メンバー一人一人にそれぞれに思う事やストーリーがあった事だと思います。そんな彼らの思いを、このブログで綴る事ができないのが残念ですが、日本の田舎の小さな村であった小さな出来事として記録しておきたいと思います。



農園たやーず(仮)メンバー紹介 - 2014.10.12 Sun

農園たやーず(仮)メンバー紹介


さてさて、ブログでもやっとこのエントリーに漕ぎつけた、ここまで、書くのに、約2か月半、お祭りも集大成であるがこの一連のエントリーも集大成である。

それでは、農園たやーず(仮)のメンバー紹介をしたいと思います。

まずは、メインボーカルのジャジャン・ヘルディアン
農園たやーず(仮)の象徴ともいうべき存在で、彼なしでは、農園たやーず(仮)は成り立たなかった。
難しい、日本語の歌詞を一生懸命覚えて、祭りを存分に盛り上げてくれる事だろう。

聴きどころは、お祭りマンボの彼の歌である。日本人でもああこれは難しいなという歌詞を歌うので、彼のこの曲に向けての努力を一緒に聞いてもらえればと思う。


続いてはカダルスマン、通称ダルスである。
担当はマラカスやコーラスとサブ的な役割で、農園たやーず(仮)のスパイス的存在だ。
そんな彼は一曲だけメインボーカルとして歌う。皆さんおなじみの朝の連ドラの主題歌であった綾香の「にじいろ」だ。
思いっきりのいい彼の歌声と、農園たやで培われた度胸の強さを感じてもらえればと思う。


農園たやーず(仮)の紅一点、勝木さんだ。
バンドでボーカル経験者という事で、農園たやーず(仮)に無理やりスカウトした(笑)期待の新人。
担当は主にピアニカとコーラス、今まで農園たやーずに無かった女性の声で、全ての楽曲に花を持たせてくれるのは間違いなし。


左上
ベース担当のレンディー・アグン。インドネシア人唯一のバンド経験者。彼も今年から日本に来たので強制的に農園たやーず(仮)に加入した。いつもニコニコとしているレンディーは一緒に演奏していると、思わずその笑顔に連られて、楽しくなってしまう。演奏技術もさることながら、彼のその笑顔にも注目である。

右下
インドネシア人リーダーのイラ・ソバルナ。
担当はカホンである。しかし彼の真骨頂が発揮されるのは、踊りの時であり、今回のお祭りでは2曲だけ、カホンから離れて、踊る機会がある。どこか人を惹きつける彼の踊りはほれぼれとするのである。そんな彼の踊りにこうご期待。



あっ、私です。
担当はギター、歌も歌いますが、メインはギター、踊りも踊りますが、メインはギターです。
「滑った、と自分が思った瞬間が滑った」という教訓を胸に、お祭りを盛り上げていきたいと思います。

こんな農園たやーず(仮)のメンバーですが、お祭りでは、今までの全てを出して頑張っていく所存なのでどうぞ宜しくお願いします。



写真提供:Big westさん

音楽は国境を越えて楽しめるのものなのか?(お祭り準備編) - 2014.10.11 Sat

2013年 秋の話である。

園主からとある提案がなされたのだ。
僕が働いている農園は高屋町という集落にあるのだが、そこでは毎年、秋祭りが行われている。
僕自身、ちょうどその時期は毎回予定が入っていて、一度も参加したことがないのだが、その祭りで来年「農園たや~ず(仮)」で演奏してみないかというものであった。


村の祭りで演奏だなんて面白そうではないか、と思う反面、現実的には無理だろうと思っていた。
なぜなら、やっとバンドとして、体をなしてきたばかりだし、バーベキューでの演奏の度に1曲完成させるために、メンバー全員、体力的にも精神的にも消耗してしまうのだから。
なので2013年9月でのバーベキューでは「農園たやーず(仮)」としては演奏をできなかったのである。
そう、現実は「農園たやーず(仮)」での活動は楽しくというよりも、辛いという気持ちのほうが強かったのである。

それに、来年のお祭り時には、中核メンバーでインドネシア人のボス、ワントは帰国するし、技術的柱のセネガル君も青年海外協力隊で飛び立ってしまうので、残りのメンバーではどうにもならないのだ。

だから心の中で、高屋の村人の前でできるわけないと思っていた。
なので、誰か園主の提案断れよ、おい、インドネシア人、やりたくないって言ってくれ、むしろ俺よりも演奏するの嫌がっていたんだから、やらないって言うよなと思っていたら。無情にもその返答は

「やりましょーう」と調子のいい軽やかな返事であった(笑)

「おい、お前、ちょっと待てよ~」という心の叫びは届かなかい。
ほんとに僕らで演奏できるんだろうかという祭りに向けてのネガティブ発進であった。(もう笑うしかないですね、ははは)




2013年 冬の話である。
さて、祭りへの準備でであったが、問題がいくつかあった。
①祭りの参加時間が1時間というものである、まずもって今の僕たちにできるパフォーマンスはせいぜいもって、15分という所だ。1時間やるという事は、10曲は演奏しなくてはいけないので、それだけの曲を準備できるかという所だ。

②メンバーのやる気だ、正直ここが一番の問題である。「やりましょーう」と言ったはいいが、言った本人が一番練習を嫌がっているのであり、本末転倒である。そんな彼らに無理やり練習せてどちらも面白くない思いをするのは目に見えているのである。そして、困った時にはサトさんが何とかしてくれるという他力本願的な考えも癪に障るというものだ。

以上の大きな2点があるから、僕自身もやる気にはなれずにいた。


さて、ここで、僕らは何のために演奏するのか、という大義名分的な思考に入り、その意義を見つけて、皆で一生懸命練習に取り組んで祭りに挑むというサクセスストーリー的な展開に入っていくのが定番なのだが、現実はそう簡単なものではなかった。

かろうじて、僕自身は新しいギターを買うという目的の元、モチベーションを維持してきたのだが、他のメンバーはどうであっただろうか。

多分辛かったであろう。
まず、一つ、押しつけられた楽曲は面白くないものである。僕自身もそうだが、演奏するならやっぱり自分の好きな曲をやりたいと思う。しかしどうだろう、自分の好きな曲をやれば、自分は楽しいが観客には受けないというものだ。もちろん聴かせるだけのボーカルや演奏技術があれば違ってくるかもしれないが、「農園たやーず(仮)」には人を惹きつけるだけの美声の持ち主がいるわけでもないし、演奏技術も趣味の域を超えない。

そして、好きな曲だけをやって手痛い結果を生んだことは以前のエントリーで書いた通りだ。
それを目の当たりにしたワントであったが、その彼はもう居なく、残りのメンバーにはこちらが用意いする楽曲には不満であった事は彼らの態度からわかるのである。

そんな彼らの気持ちは同じ演奏者として痛いほどわかるのだが、演奏を聴いてくれるのは日本人であり、その日本人の好む曲はインドネシア人の彼らよりも僕がわかるという事で、やはり彼らのやりたくない楽曲を押し付ける形になってしまうのだ。

しかし、そんなモチベーションでは10曲も準備することはできない、どうしたものか、こればかりは言葉で言った所でどうにもなるものではないというものだ。言葉の壁もあるし、、、
そこで、僕自身、ボリビアでの経験を彼らインドネシア人にも味わってもらったら、僕の意図するところをわかってもらえるのではないかと思い至ったのである。自分の好きな曲を歌うことが受けるとは限らないというものを。

2014年3月のバーベキュー
全部で3曲をやったのだが、そのうちの1曲をインドネシア人に決めてもらったのだ。
「高嶺の花子さん」という曲であった。

僕自身も彼らから聞いて始めて知った曲なのだが、確かにかっこよくていい曲ではあったが、これは受けないという確信があった。なぜなら、マイナーすぎるからだ。

本来なら止めようという所であったが、ここでそれは受けないから駄目というと、ふて腐れて練習に身が入らなくなるし、やっぱり自分で選んだ曲は選んだ本人が一番頑張るから、敢て何も言わなかった。
そして、頑張った分だけ、その時に受ける反応を選んだ本人が一番影響をうけるのだから。

選んだ本人をここではクマさんと呼ぼう、いつものそっとしていて体も大きくクマさんみたいだから。

そしてそのクマさんは、その演奏で僕の意図をわかってくれたのだった。
演奏しているとき、僕はピアニカ担当でありクマさんはボーカル、日本語の歌詞をしっかり覚えて頑張っていたのに反応はイマイチ、サブのピアニカを弾いている僕ですら観客の視線が痛く、顔を上げて演奏ができなかったのだからメインのクマさんはもっと居た堪れなかったであろう。

ごめんね、くまさんと思いつつ、自分の意図した通りにクマさんが感じてくれたことにしめしめと思いつつ、祭りの準備は進んでいったのである。

その後、メインのお祭りの楽曲はこのクマさんと僕とで決めたのだ。
「お祭りまんぼ」「YMCA」「ブディドレミ(インドネシアの曲)」母国の曲はお互いに提案したのだが、クマさんはどのインドネシアの曲が日本人に受けるか相談してくれて決められた。

彼がいなければ、同じ楽曲を選んだかもしれないが、その曲に対してのモチベーションは低く僕が日本語の曲は全部歌う事になったかもしれない、クマさんは難しい日本語の歌詞をしっかり覚えてくれてお祭りに挑んでくれる。またそんな彼の姿勢が他のメンバーに浸透していった事は言うまでもない。


さて、クマさんのお蔭で、10曲という大きな問題はクリアーしたのだが、もう一つ根本的なものが残っていた。
練習を嫌がるというものである。

半場、僕は強制的にやらせた部分は否めない、それに対して不満があった事はわかっている。ただ僕としても彼ら以上に不満を持っていたことは確かである。やると言ったのは自分達なのに、あたかもやらされている感を醸し出してくるのだ。

これが日本人だったらお酒を飲みながらお互いの本音というものを話すという事ができただろう、しかし相手はインドネシア人、酒も飲めなければ、腹を割った本音の話もできない。
いや、時間を割いて、一人一人、食事にでも誘って話す事もできたであろうが、僕自身に余裕がなかったのも事実である。
そんな状態であったが、少しでも改善できるように色々試したりはした。

練習の時間を変えたのだ。
今までは、仕事が終わってから、すぐに練習というものであったが、食べ盛りのインドネシア人、お腹を空かしての練習は嫌であったのだろう、それに気づくまでなんて不真面目奴らと思っていたのだが、僕自身もっと相手の事をわかろうとしていなかった所から始まったミスコミュニケーションである。

なので、練習日は日本人が料理を振る舞ってから開始というようにしたら、今までよりも集中して練習に挑んでくれるようになったのだった。ギブ&テイクという事だ、ご飯を作ってあげるからその代り練習頑張ってねという、ただ本来ならそんな事しなくてもいいんだけど、、、

次に練習方法である。
今までは一つの曲を日本人主体で準備するという形であったが、どうにもそれには時間的にロスも大きくやらされている感も半端なかった。
それよりも1曲一人リーダー制的なものに変えたのだ。

発表する曲のリーダーがその曲を完璧に準備してきて、それに他のメンバーが思い思いの楽器で入ってくるというのものである。そして部分的にリーダーはあなたはこうしてと支持を出して曲を完成させていくのだ。

例えば、僕が3曲準備してきて、さあ、ここはこう弾いて、ここはこうと支持するよりも、クマさんはギターで、うさぎさんはカホンで適当に入ってという感じにする。そしてそれを僕自身が一人で全部の曲を指示するのではなく、一人一人が曲のリーダーになってやることで、やらされている感を軽減するというものだ。それによって数段練習時間も短くなり、僕個人としても負担が軽減したのである。

プラス、時間を無駄にしないという事で、朝、直売に野菜を卸に行く時など、車での移動時間が長い時には、一緒に歌の練習をしたりして、時間を有効につかったりもしたのだ。

だけど、でも、それでも、やっぱり10曲は多かった。
僕が主体となる曲も増えるし、練習量が増えていったし、いくら食事付といっても練習の開始時間が遅くなるから終わるのが遅くなり、仕事で疲れた体にメンバー全員に負担になっていたことは確かである。

それでも皆、頑張ってくれていたと思う、よくやってくれたと思う、だけど、些細な事が僕自身へのストレスになっていった。
それは僕が未熟であったゆえでもあるが

「ここの部分は、ギターだけね」と言っても、マラカスジャンジャン鳴らすし、この間奏の部分は適当にと言っても、「間奏」という言葉も「適当に」という言葉もわからない。一言で通じる事が、伝わらないもどかしさである。それは練習だけでなく、普段の仕事でも同じような事はよくあるのだ。

言葉ができないからしょうがないでしょうというと優しい目で見てあげればいいのだが、福井に来てからこの方、ちょっとした事ではあるが、徐々に、そのもどかしさが蓄積されていった。それが、プライベートの時間でもそうなのだから、だんだん我慢が出来なくなっていったのだ。

だから、少しでも練習に不真面目な態度を見せると、怒りは爆発、までとは言わないが、強い口調で注意してしまったり、もう、半場、これでいいやとなげやりになってしまっていた。


2014年 9月のバーベキューの話である。
お祭り前の最後の演奏の機会であった。

最初の出だしで躓いた。
皆、同じ方向から、出てくるという事でスタンバッていたのだが、約2名、その意図をわかっておらず、別の方向から出てきしまったのだ。

傍から見たら大したことでははないかもしれないがそれまで積もり積もっていたものが、噴火した火山のマグマのようにドロドロと溢れ出したのだ。

ああ、もう、どうでもいいや。

そう思ってしまったが最後、自分自身の感情をコントロールできなくなってしまった。

他のみんなはすごく頑張ってくれていたと思う。
ただ、そんな精神状態になってしまった僕は、もうボロボロであった。
弾き間違えは起こすし、周りが見えなくなり演奏自体、走らせてしまったのは僕の責任である。

終始、緊張していたし、人前で演奏していて、初めて早く終わればいいのにと思ってしまったのだから。
そんな僕をメンバーは誰も攻めなかったのは、より申し訳なさを感じた。
聞いてくれた方も、生暖かい目で見守ってくれたものの、その場に居た堪れなかった。

穴があったら入りたい気分である。


その次の日から、何かに取りつかれたように、ギターを弾き続けた。
どんな状況になってもちゃんと弾けるように、あんだけ、練習しなくてはいけないよと、インドネシア人のみんなに言っていた僕自身が皆の足を引っ張らないように。

夕飯を食べてから、寝るまでずっと弾いていた。練習すればしただけ、どうにかなると思って。
しかし、だからと言って、彼らに対する不満は解消されないし、迫りくるお祭りに焦りを感じるのを拭えなかった。
そして、また9月のバーベキューと同じ事が起こってしまうのではないかと。

そんな中、メンバー間の不仲も沸々と沸いてきた。
とあるメンバーがやる気がないのが原因であった。

それに対しては、僕自身も頭を悩ましてきたのだが、他のインドネシア人メンバーも我慢の限界にきたのである。
そして他のメンバーが、僕に対してその不満をぶつけてきたのである。

ちなみに、お祭りに出るといくらか謝礼をもらえるので、その謝礼でみんなで焼き肉を食べにいこうという事になっていた。
しかし、そのやる気のないメンバーに対して、あいつには焼き肉を食べる権利はないと言い始めたのだ。

確かに彼らの気持ちもわかる一生懸命頑張ってくれているのに、やる気のないメンバーが輪を乱している事がどれだけ腹立たしいか、しかし、そこで、それを彼に伝えた所で、状況が好転するとはまず思えず、どうしたらいいかわからなく、皆をなだめる事しかできなかった。


ああ、最悪の状況だ~本番前にメンバーの空中分解か~
しかも本番は雨だという予報ではないか、一生懸命頑張ってきてくれた皆のこの気持ちはどうしたらいいのだろうか。
それでも無情に本番は近づいてくる。


そんなぐつぐつと、煮えくり返った鍋のような心境でいつものように、お昼休みに煙草を吸って休憩していると、クマさんがやってきて、突然僕に、彼の今の気持ちを伝えてきたのだ。

「サトさん今日、私、練習が楽のしみ、練習する日が来るのがいつも楽しみだ」
それはお祭りに参加すると決まった当初から考えたら、考えられない発言であった。
あんなに嫌いだった練習を楽しみと言うようになったのだから。

そんなクマさんの言葉は、今まで、積もり積もったストレスも本番への不安も一気に吹き飛ばしてくれた。

そして、メンバーの足を引っ張っていた子もちょうど同じ日に僕に練習の事について話してくれた。
「残り、2回、私、練習頑張るは、約束する」
短い言葉であったが、それだけで十分であった。
彼の今までの練習姿勢がなぜ良くなかったのか原因は十分承知していたから、何も余計な事は言わず、男の約束をしたのだった。

そして彼は自分の言った通り、約束を果たしてくれたのである。

(ちなみにインドネシア人の子は自分の事を書かれるのが嫌なのでここで書いた事は彼らには内緒でお願いします。)

僕の中で、この日の練習は、今までの集大成であったと思う。
皆の意識が変わり、やっと一つに纏まったメンバー、そこまでに至る数々のストーリー、そして、僕自身一つの事を見落としていたこともわかった。

頼りないメンバーだからこそ、僕がどうにかしなきゃと思い、一人空回りしていたのだと。
このお祭りに向けて、頑張ってきたのは自分だけではない、みんな同じであった。僕が思い悩みどうしたらいいのかと試行錯誤してきたように、メンバー一人一人もこのお祭りに向けて成長していたんだなと。
今じゃ、一人一人のメンバーが頼れるメンバーである。
それに気づけただけでも、僕は農園たやーず(仮)に参加できてよかったと思う。

そんな事を思いつつ、練習中に涙がちょちょぎれそうになったのは秘密である(笑)



さて、気持ち的にはもう高揚しきってしまって感情的に終了ムードになりかけてしまったが、本番は明日である、そして予報も変わって晴れである。



さぁ、明日は祭りだ、、、いや今夜は祭りだ(笑)




















音楽は国境を越えて一緒に楽しめるものなのか?(農園たやーず(仮)結成 完結編) - 2014.10.08 Wed

2013年 6月のバベキューの話である。

二人の救世主であるが、ここでは一人の救世主の話をしよう、もう一人は別枠で、、、

農園に1年もいなかったが、青年海外協力隊に行きたいという事で、一人の日本人研修生が農園で実習をうけていた。
彼は今、遠い土地、セネガルに協力隊として行ってしまって今は農園にいない(2014年6月出国)。仮にここで彼のブログ名をセネガル君としよう。

セネガル君はバンドマンで、ギターがめっちゃうまかった、ここで新たなメンバーが一人加わったのだ。
一人加わると、やはりメンバーの色がガラッと変わる。

僕自身はアコギオンリーのコンビしか組んだことがなかったので、誰かと他の楽器と合わせえてやる、という事には慣れていなかったし、インドネシアの子も同じようなものであった。
しかし、セネガル君は生粋のバンドマン、人と合わせてなんぼの世界で僕らに今までになかったものを持ってきてくれたのだ。

それにギターテクもうまいときたものだから、メンバーのやる気も以前より変わった。
そして何より、初期の険悪なズサンな練習体制を知らないという事もプラスしただろう。
そして、セネガル君主導のバンド練習が始まった。

そして、それと同じくして、一人の男の意識が変わったのだ。
そう、練習を拒み、あのシカトこいた主犯格、ワントである(2014年4月帰国)

セネガル君のバンド参加も大いにプラスしたのであろうが、ワントもまた前回のバーベキューで僕と同じようなものを感じたのであろう。実際、話してはいないが、演奏が終わった後、あの雰囲気に大失敗したと彼一人は感じている姿を見たからだ。

その意識変化は、練習の時現れたのだ。
あんだけ嫌がっていた練習にワントから練習しようと、声をかけてきたのである。それもあんなに嫌がっていた、お昼にである。

そんな事もあるものかとビックリした。だがメンバー全員がそうではなかったので、まだまだ練習に対するフラストレーションは溜まっていったが、それでも当時3年生であったリーダーのワントが、他のメンバーに声をかけてくれたのだから、今までとはだいぶ違ったのだ。

そして、僕はというと、この二人のお蔭で、心の中ではやりたくないという想いがありつつも、一緒に演奏できることができたのだ。初めてやった時は、一人空回りしっていたが、今回は二人も一緒に練習を頑張ろうという人がいるのだから。
もし、セネガル君がいなければ今の農園たやーずは存在しなかったであろう。

そんなセネガル君と意識変化したワントのお蔭で、この時の演奏はやっと形になった演奏ができるようになったのである。

この時歌った曲は、前々回の時と同じ「idillo」と「ウイス」、しかし今度は、インドネシア人も「idiilo]を踊り、日本人も「ウイス」を歌うという、お互いに一歩踏み込んだ演奏になったのだ。
これはお互いに一緒練習しようという気持ちが無ければできなかった。

そして、ここで僕らでしかできない曲、「コーヒールンバ」を演奏したのだ。
この曲、もともとは南米ベネズエラ原産で「モリエンドカフェ」という、それが日本に輸入されて「コーヒールンバ」そしてインドネシアに行って「カフェダンドゥ」という名でそれぞれの国に知られていたのだ。

この曲を、スペイン語、インドネシア語、日本語を交えて歌ったのである。
雑多な集まりの農園たやの仲間たち、生まれた場所が県も違えば国も違う、そんな僕らを表すのにピッタリな曲であった。

さてさて、そんな新生バンドで挑んだバーベキューであるが、最後は参加者も交えてのウタオドリをするという盛り上がりを見せた。これこそ、僕らの目指すべ演奏スタイルに近づいたのではないだろうか。

ただ、この時、一人の男により、僕らの大切なものは決まってしまった。
「みなさん初めまして、僕たち、農園たやで活動する、多国籍バンド農園たやーず(仮)です。」
一瞬でその名前はないでしょうというブーイングを受けつつ、今度ちゃんと考えますという言葉を残して、彼はセネガルに飛び立ってしまった。

確かにバンドの名前なんて、適当でいいと僕は思う、あのいきものががりだって、みんな小学生の時にいきもの係だということで決まったのだから。

だが突然の事で、未だにこのバンド名で不服に思っている子はいる、うさぎさんとか(笑)
その後、ちゃんと考えなくちゃねとは思いつつも、最初に出てきたこの名前はもう拭い去れない、多分今更、頭をひねっても
農園たやーず(仮)以上のものは多分できないと思うので。

そんなこんなで農園たやーず(仮)は産声を上げたのだった。




農園たやーず(仮)結成編    完




次は高屋の秋祭り編です。
本番までに書ききれるかな~




音楽は国境を越えて一緒に楽しめるものなのか?(農園たやーす結成編その2) - 2014.10.03 Fri

怒り心頭の原因は彼らの練習をしないという姿勢だった。


個人的な考えではあるが、僕は人前で披露する曲は、ある時を境に、2か月間は毎日しないと披露できないと思っていた。そんな長時間でなくてもいい、毎日少しずつでも練習するのがコツだと。


そして、無意識になっても体が勝手にコードを弾き、
口から勝手に歌を歌えるようになったらやっと人前で披露できる状態になると。
なぜなら、本番はどんな時でも緊張し、いつもの実力が出せないのだから。

だから僕は、インドネシア人の研修生に呼びかけた練習しようぜと、しかも本番まで時間がないのだから。

そしたら、その答えは、今日は疲れたからやらないというものであった。
そうかそうか、確かにつかれたよなと、一度目は譲歩した。

次の日、さー練習しようぜと呼びかけると、今日は忙しいからできないと。
そうだよね、みんなは勉強があるから大変だよねと、この日も譲歩

そして、そろそろやばいんじゃないかと焦りだしたので、今日こそ練習しようぜと呼びかけると、
思い腰を起こしてやっと練習をしてくれた。
よしよし、やっと始まったぜと思いきや、二人だけしか練習に参加しない。
おいおい、後の二人はどうしたやる気あるのか、、、

でもまー、やっと練習が始まったからよしとするか、、、

そして次の日、練習やらない、その次の日もやらない、そしてその次の日も、、、
譲歩に譲歩を重ねてきたが、さすがにこれは不味いだろうと焦りだした。今までと違って、身内に披露するのではなく、開放型バーベキューでお客さんがくるというのに。

という事で、その日譲歩という言葉は僕の中から消えた。

「おい、オメーラ今日は練習ずるぞ、まじこのままじゃやべーから」
そして、この俺の気魄に押されて、思い腰を上げて練習をやるかに見えたのだったが、その答えは「シカト」だった。

そして、僕の中でプツンと張りつめた糸が切れたのだ、、、、、、、、、



その後の展開は皆様のご想像にお任せいたします。



ただ、この時、初めて痛感したのだ、外国人と一緒に演奏をするのがこんなにも大変だなんて。確かに今まで、外国人と一つの曲をしっかり練習して一緒に演奏はしたことなかった、一緒に弾き語りをすることはあったが、それは楽しいものであり、うけなかった事はありしも、怒り心頭することはなかったのに。

音楽は国境を越えて楽しめるものだと、ボリビア行って思うようになったのに、その思いはインドネシア人の子のこの一件でもろくも崩れ去ったのであった。

そしてこの時誓った、もう二度とこいつらとやるもんかと。






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ド~レ~ミ~ってちゃんと歌っているつもりなのに、人からは音外れてるよって言われるんだよね。トントントンってちゃんとリズムを刻んでるって思うだけど、人からは段々早くなっているよって言われるんだよね。でもメロディーもリズムも人それぞれ違うもんだと思うから、人と合わせて調和をとることが大切。そんな私のハーモニー、このブログで奏でていきたいと思う。

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