タタン ローマットとの再会 - 2015.02.08 Sun
正直に言おう。
僕の農園での目標は3期生のタタンであった。
(2012年に僕が農園に勤め始めた時の研修三年目)
仕事をそつなくこなす。
不平不満を言わず、黙々と働く
どんな作業をしても、スピードが早く、狂はない正確さ
何をとってもこの人には敵わないなと思っていたからこそ、僕はことある作業で、タタン君を見本に農作業に勤しんでいたのである。
だからそんなタタン君が僕にとってのインドネシア研修生の3年生になった時の姿だと思っていたのである。
そんな勝手な理想像のせいであろうか、一年先輩のワント、同期のウサギとカメさんが、3年目を迎えたのに、えっ、なんでと思わせる事がばかりであったのだ。
不平不満ばかりを口にする。
園主の見てないところでは手を抜く。
想像もしない見当はずれの事をする。
これが国際交流でちょっとした付き合いであればいい奴等だなという事で終わるのだが(ほんとに気のいい奴等なので)、しかし、ほぼずっと一緒であるからこそ、その自分の理想像との違いから、ちょっとづつ、ちょっとづつ、不満が募っていったのである。
そこで僕自身のこの蓄積の不満を解消するために、いや行けば何か僕にとって気持ちの転換ができるきっかっけを得られるのではないかと、インドネシアに来たいうのも実は一つの目的でもあった。
話はバンドン駅に着いた所に戻る。
長い長い旅路を終えた僕らを待ち構えていたのは、彼らが母校、ダンジュサリン農林高校の一団と、あのタタンであった。
彼を見た瞬間に、言葉に表せない喜びが込み上げてきたのだ。
それも、上記に書いた事などなんかどうでもいいと。
ただタタンに合えた事が素直に嬉しくて。
再開直後のタタンタタン君とバスの中で
さて、タタンの事である。
彼は、日本で果樹の販売について研究して帰国した。
将来的には、観光農園、果物狩りをして食べられる農園を作ると言って。
だが、それは色々な障害があり、実現は難しい事。
帰って植えた果物の苗はまだ大きくなってない事。
大学で仕事と勉強をして、週末は自分の畑の管理をしてる事。
タタンが言っていたのだが、日本での生活は大変だった、だからインドネシアに帰ったら遊ぶぞと。
しかし、今のほうがもっと忙しいと。
ちょっと疲れた顔で、そんな事を口にしたタタンであったが、その目には、自分の夢を叶えるための情熱が宿っているように僕には感じられた。
さて、久々のタタンと再開して、会話を楽しんでいると。
さっそく、タタンが質問をしてきた。あの女の子はダレ、と。
ちなみにお土産は何が欲しいと聞いたとき、かわいい女の子と言ってきたのはこやつだ。
昔話しになるが、タタンと過ごした日々で、忘れもしないエピソードがいくつがある。
その一つが毎週日曜日の午前の仕事が終わり、お昼を食べるために階段に上る時にタタンはいつも同じタイミングできいてくるのだ「どう?」
主語もなにもない唐突な質問であるが、彼は、当時うちで働いていたバイトの女の子に惹かれていた。
しかし、悲しい事かな、タタンはその子とは別の仕事であり関わる事がなく、毎回僕に聴いてくるのだ。
「どう?」
おっと、この下りを続けるとブログの趣旨から外れていくので、はしょるが
そんなこんなで、タタンのために仲良くなるきっかけを作ったりしたとか、注意したりとか、昔を思い出しつつ、タタンはやっぱりタタンだ、変わらないなと愛おしく思うのであった。
そして、そんなタタンのためにさりげなく座席が隣になるようにしてあげる僕も、2年という月日は立ったが二人の関係は変わらないなと思うのであった。ただ、僕はあのスーパー研修生であったタタンに会う事で何か見つかると思ってきたのに、それまでの期待に満ちた僕の思いを返せやという想いは胸の内に閉まっておこう(笑)
さて、話をまじめなほうに戻すが。僕はタタンの作った果物を是非とも食べたかった。
しかし、時期が良くなく彼の作った果物のほとんどが、実がなっていないか、時期ではなかったのだ。
でもやっぱり彼の作った果物がどうしても食べたかった。
彼が苦労して作っている果物、帰国後のために苦労して研究した果樹の販売方法。
一緒に福井の栗農家にインタビューに行ったり、二人で果樹についての卒業研究の発表の特訓をしたり。
そんな日々があるから、どうしても食べたかったのだ、タタンの作った果物を。
そんな意図を組んでくれてか、タタンは自分の作ったの果物を持ってきてくれたのだ。
ただそれはまだ小さく、まだ美味しくないと彼は言っていたが、果物を持ってきてくれたのだ。
確かに、というか正直言うとそんなに美味しくはなかったが、彼が作ったとうだけで、そしてそれを僕らのために持ってきてくれたという事だけで僕には美味しく感じられたのだ。
そんなほっこりエピソードもこの旅では沢山味わえたのである。
ただ、彼の一番作りたいのは果物の王様「ドリアン」である。
次はその木が多きくなった時に是非とも食べに行きたいのである。
タタンはバンドン駅から、バンドン空港まで、すべての日程をサポートしてくれたのだが、彼のサポートは完璧であった。
やはりここはスーパー研修生であると改めて思わされたのであり、彼との再会からインドネシア農村スタディーツアー2015は始まったのだった。
僕の農園での目標は3期生のタタンであった。
(2012年に僕が農園に勤め始めた時の研修三年目)
仕事をそつなくこなす。
不平不満を言わず、黙々と働く
どんな作業をしても、スピードが早く、狂はない正確さ
何をとってもこの人には敵わないなと思っていたからこそ、僕はことある作業で、タタン君を見本に農作業に勤しんでいたのである。
だからそんなタタン君が僕にとってのインドネシア研修生の3年生になった時の姿だと思っていたのである。
そんな勝手な理想像のせいであろうか、一年先輩のワント、同期のウサギとカメさんが、3年目を迎えたのに、えっ、なんでと思わせる事がばかりであったのだ。
不平不満ばかりを口にする。
園主の見てないところでは手を抜く。
想像もしない見当はずれの事をする。
これが国際交流でちょっとした付き合いであればいい奴等だなという事で終わるのだが(ほんとに気のいい奴等なので)、しかし、ほぼずっと一緒であるからこそ、その自分の理想像との違いから、ちょっとづつ、ちょっとづつ、不満が募っていったのである。
そこで僕自身のこの蓄積の不満を解消するために、いや行けば何か僕にとって気持ちの転換ができるきっかっけを得られるのではないかと、インドネシアに来たいうのも実は一つの目的でもあった。
話はバンドン駅に着いた所に戻る。
長い長い旅路を終えた僕らを待ち構えていたのは、彼らが母校、ダンジュサリン農林高校の一団と、あのタタンであった。
彼を見た瞬間に、言葉に表せない喜びが込み上げてきたのだ。
それも、上記に書いた事などなんかどうでもいいと。
ただタタンに合えた事が素直に嬉しくて。
再開直後のタタンタタン君とバスの中で
さて、タタンの事である。
彼は、日本で果樹の販売について研究して帰国した。
将来的には、観光農園、果物狩りをして食べられる農園を作ると言って。
だが、それは色々な障害があり、実現は難しい事。
帰って植えた果物の苗はまだ大きくなってない事。
大学で仕事と勉強をして、週末は自分の畑の管理をしてる事。
タタンが言っていたのだが、日本での生活は大変だった、だからインドネシアに帰ったら遊ぶぞと。
しかし、今のほうがもっと忙しいと。
ちょっと疲れた顔で、そんな事を口にしたタタンであったが、その目には、自分の夢を叶えるための情熱が宿っているように僕には感じられた。
さて、久々のタタンと再開して、会話を楽しんでいると。
さっそく、タタンが質問をしてきた。あの女の子はダレ、と。
ちなみにお土産は何が欲しいと聞いたとき、かわいい女の子と言ってきたのはこやつだ。
昔話しになるが、タタンと過ごした日々で、忘れもしないエピソードがいくつがある。
その一つが毎週日曜日の午前の仕事が終わり、お昼を食べるために階段に上る時にタタンはいつも同じタイミングできいてくるのだ「どう?」
主語もなにもない唐突な質問であるが、彼は、当時うちで働いていたバイトの女の子に惹かれていた。
しかし、悲しい事かな、タタンはその子とは別の仕事であり関わる事がなく、毎回僕に聴いてくるのだ。
「どう?」
おっと、この下りを続けるとブログの趣旨から外れていくので、はしょるが
そんなこんなで、タタンのために仲良くなるきっかけを作ったりしたとか、注意したりとか、昔を思い出しつつ、タタンはやっぱりタタンだ、変わらないなと愛おしく思うのであった。
そして、そんなタタンのためにさりげなく座席が隣になるようにしてあげる僕も、2年という月日は立ったが二人の関係は変わらないなと思うのであった。ただ、僕はあのスーパー研修生であったタタンに会う事で何か見つかると思ってきたのに、それまでの期待に満ちた僕の思いを返せやという想いは胸の内に閉まっておこう(笑)
さて、話をまじめなほうに戻すが。僕はタタンの作った果物を是非とも食べたかった。
しかし、時期が良くなく彼の作った果物のほとんどが、実がなっていないか、時期ではなかったのだ。
でもやっぱり彼の作った果物がどうしても食べたかった。
彼が苦労して作っている果物、帰国後のために苦労して研究した果樹の販売方法。
一緒に福井の栗農家にインタビューに行ったり、二人で果樹についての卒業研究の発表の特訓をしたり。
そんな日々があるから、どうしても食べたかったのだ、タタンの作った果物を。
そんな意図を組んでくれてか、タタンは自分の作ったの果物を持ってきてくれたのだ。
ただそれはまだ小さく、まだ美味しくないと彼は言っていたが、果物を持ってきてくれたのだ。
確かに、というか正直言うとそんなに美味しくはなかったが、彼が作ったとうだけで、そしてそれを僕らのために持ってきてくれたという事だけで僕には美味しく感じられたのだ。
そんなほっこりエピソードもこの旅では沢山味わえたのである。
ただ、彼の一番作りたいのは果物の王様「ドリアン」である。
次はその木が多きくなった時に是非とも食べに行きたいのである。
タタンはバンドン駅から、バンドン空港まで、すべての日程をサポートしてくれたのだが、彼のサポートは完璧であった。
やはりここはスーパー研修生であると改めて思わされたのであり、彼との再会からインドネシア農村スタディーツアー2015は始まったのだった。
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