topimage

2017-08

スポンサーサイト - --.--.-- --

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

あらためまして、私が佐藤高央です。 - 2013.01.05 Sat

新しい年を迎えたことですし、新しい第一歩を踏むためにも、今までの自分を振りかえって、自分のプロフィールを書きたいと思います。

ちょっと長くなりますが、よければ見てやって下さい。


生まれは東京、出身も東京なのですが、自分の自己紹介をすると、いつも面倒くさい事になるんですよね。
なぜなら、今まで住んできた所がいっぱいありすぎるからです。

その説明が初対面の人と話す時いつも長くなるのがネックです。

さて、そんな私の初めて過ごした場所は奈良県です。

0歳~2歳と半年過ごした場所
しかし、記憶がないので、何一つ思い出がないのですが。
親から聞く話が思いで話のようなものです。
おもちゃのミニクーパーが遊び相手。


次が2歳から6歳まで過ごした場所岐阜県多治見市です。
ここから記憶があります。
粗大ゴミに捨ててあった自転車を拾い、四歳時にして補助輪なしで自転車をこげるようになりました。
その時の練習してる自分が記憶に強く残ってます。
なぜなら、危うく道を外れて、崖っぽいところから落ちそうになって、初めての恐怖を感じたからです。
生きてて良かった。

6歳から10歳までいたのが、山梨県甲府市です。
ここでは、とにか、サッカーとガンダムにはまっていましたね。
とにかく遊んだ記憶しかないです。しかし、山梨との友達とは今は連絡を取れない状態、あのころのみんなは今何をしてるんだろう。
ちなみに、山梨県にいた頃は、ぶどうと桃はタダで貰えるものだと思ってました。

次は青春期を過ごした新潟です。
10歳から15歳を過ごした場所です。

この頃から、環境問題に興味を持ち、ダイオキシンの有害性を作文にして、市で発表した記憶があります。
この時が初めて人前でしゃべるという経験をしたのですが、極度の緊張のあまり、発表直前まで、先生の横で寝てしまいお叱りを受けた事を覚えてます。未だに極度の緊張に襲われると眠くなるのはこの時から始まったのです。この時出会った先生は今でも最高の先生です。

中学に上がると、陸上部に入り、110mハードルの選手となります。特に何かに打ち込んだという事はなかったのですが、なぜか生徒会長になりたいと思い(理由が思い出せない)、沢山の友人の助けを借りて、生徒会長になることができました。その時に生徒会のメンバーと一緒にやったクリスマス週間のために流した、クリスマスソングが今でも忘れられません。ミーシャ evertingを聞くと今でもあの頃を思い出します。

さて、この頃、自分の進路について、真剣に向き合います。座禅なんかしてしまうぐらい当時の自分にとっては重大なことでした。そこで、たまたま見た一休和尚の番組を見てある言葉に感化されます。

一休さんは、天皇の落し子ということで、大変な青年期を過ごします。
私には計り知れない、苦悩があっあことでしょう、そんな一休さんは琵琶湖のほとりで、悟りを開くんですね。
「自分の苦しみなんか、この琵琶湖の広さに比べたらちっぽけなものだ」と、それから一休さんは、自分よりも苦しんでいる人はたくさんいる、その人たちのために生きようと。

それに感化された私は、世界の人のために生きようと思うのです。


そんな、思いを持って次に行ったのが、神奈川県の南足柄市です。
たぶんここが、僕が住んだ一番田舎だったんではないでしょうか。
山とみかん畑に囲まれた、静かなところです。

15歳から18歳とちょうど高校三年間いました。
ここでの大きな出来事は3つあります。

一つは思春期独特の人間関係
二つ目は部活を通して、ものを作る事の楽しさ、充実感
三つ目は初めての海外、フィリピン

一つ一つ細かく話すと長くなるので簡単にいうと、人間の心の冷たい部分と暖かい部分を知ったことです。
大嫌いな奴に出逢えば、尊敬できるひとにも出会えた。多感な時期の自分には大きく影響を及ばした濃い3年間だった思います。

さて、初めての海外ですが、この時のファーストインプレッションは今でも忘れていません。
空港を降りて、見た風景は、発展の度合いや社会の成熟度といったものは、日本とは全然違いました。
しかし、ああ、同じだなと感じたのです。理由はよくわかりません、フィーリングといったものです。
この時、自分は世界ばかりに目が行っていましたが、日本を見直すきっかけになりました。
将来は日本で働きたい、日本をもっと知りたいと。

そして、とうとう生まれた土地、東京に帰っえてきます。ここからが長いです。
18歳~22歳です。

大東文化大学の国際文化学科に行くことになります。
実は、この大学は滑り止めで行く気は全くなかったのですが、ここ以外は受験に失敗して浪人を許されなかった私は、埼玉の田舎へ、毎日往復3時間半をかけて行くことになったのです。

ですがここで学べた事は大きかったです。
世界中の人のために生きようと、中学の時からの思いは失せず、国際協力という分野で自分は生きていこうと思っていた私は、国際機関やNGO、世界経済といった分野に興味を持っていたのですが、私の学部は違った部分から、私に新し視点をもたらしてくれたのです。

それは文化です。そして、その文化を作りあげているのは、宗教、言語、経済、歴史、衣食住、などさまざなものが絡み合ってできているのだと。特に未だに思うのが、言語です。私が学んだ言語は、ウルドゥー語というパキスタンの言語なのですが、その言葉の中には、日本語にない言葉がいくつかあるんですね。それはその国の人の価値観を表しているものだと。日本語にも海外にない言葉はいくつもありますよね。有名なのが「もったいない」です。言葉にはその国の人たちの精神が込められ、異国間文化を学ぶためには、言語から、その言葉をしゃべる人たちの価値観を知ることができるんですね。

大学時代、大東文化でイベントを企画運営したりして、たくさんな友人を得る事ができました。
それと共に、私は、東京の杉並区で寮生活をしていたのですが、ここで出会った友人たちは、私の宝物です。とにかく凄い奴らが多かった。

それは、頭がいいとか、将来有望とか、そういった人たちではありません。人間的に凄いという人たちです。尊敬できる人達だらけでした。それに、彼らとは同じ釜の飯を食う中であり、共に共同生活をした時間がとても長った分、兄弟のような存在でもあったのです。一生の友達ですね。


さて、次はと書きたいのですが、少々長すぎて、書いてる自分も疲れてきました。
この続きは次のブログで書くとします。

スポンサーサイト

● COMMENT ●


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://uguisuflyflyfly.blog111.fc2.com/tb.php/262-fa014e0a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

あらためなくても、私が佐藤高央です。 «  | BLOG TOP |  » あけましておめでとうございます。

プロフィール

ゴンベイ

Author:ゴンベイ
ド~レ~ミ~ってちゃんと歌っているつもりなのに、人からは音外れてるよって言われるんだよね。トントントンってちゃんとリズムを刻んでるって思うだけど、人からは段々早くなっているよって言われるんだよね。でもメロディーもリズムも人それぞれ違うもんだと思うから、人と合わせて調和をとることが大切。そんな私のハーモニー、このブログで奏でていきたいと思う。

フリーエリア

サウンドハウス

最新記事

カテゴリ

未分類 (3)
日記 (41)
旅 (1)
活動 (5)
ボリビア (215)
プロフィール (2)
食べ物 (3)
農業 (8)
僕とインドネシア人 (16)
音楽 (31)
ブログの紹介 (4)
野菜 (10)
一生もののギター探し (11)
グワナコ戦争 (28)
スタディーツアー (18)
レシピ (8)
ベジラボ (5)
標高4000mに挑むまで (14)
ちょっと高いところからの景色を見てみたい (0)
京水菜 (5)
ミニチンゲンサイ (4)
トウモロコシ (0)

FC2カウンター

アーカイブでクラウド

リンク

このブログをリンクに追加する

QRコード

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。